遠くを見ようよ
いろんな人が、いろんな考えを持つ。
これは、当然です。
僕も、そのいろんな人のひとりです。
僕には先頭に立って歩く役割があります。
みなさんには、
「付いておいで」
と、は決して言いません。
「見ていてください」
と、伝えてきました。
僕の選ぶ道は、正解ばかりではありません。
大きなつまずきなら、何度もありました。
ただ、長い道のりで振り返ったときに、
「あの時、あそこでつまづいておいて本当によかった」
そう、思えてきてるんですね。
なので、僕はいつどんな時も、誰に対しても、
「運だけで、ここまでやれてきました」
そう答えます。
心から、そう思っているからです。
この「運」とは、多くのケースで「人との出会い」と言い切れます。
僕を支えてくれる人。
今は、スタッフや友人たち、そしてみなさんです。
「車を洗った日に限って雨が降る」
これを「運が悪い」とは、思っていません。
「いつものことだ」
としか、思いません。
「車があって良かった」
と、思う方なんです。
まだ、僕は自分のことがよく分かっていませんが、「結果論者」でないことは知っています。
どのような気持ちで、そこに向かったかの方が大事なんですね。
「成功」「失敗」など、一瞬のことです。
その瞬間には、次のことが始まっていますので。
ただ、「勝敗の行方」となると、死ぬまでとなります。
いえ、死んでから認められることだってあります。
今回のケースでこれを持ち出すのは、少し屁理屈に映りますか?
僕の中では、生きる上での基盤です。
「ここは途中だ 旅のどこかだ」
その昔、三国志に「諸葛亮孔明(しょかつりょうこうめい)」という軍師がいました。
「魏(ぎ)」「呉(ご)」「蜀(しょく)」
国を統治するために戦った三国の「蜀」の軍師です。
「風を読む」
この言葉は「諸葛亮孔明」から生まれました。
襲撃は月明かりの夜が勝利の法則でしたが、
ある戦で、彼は「月明かり」を選ばず、霧深い朝の風上の河川敷を選びました。
大将たちは驚き、「月明かりの夜」でなくてはならないと詰め寄ったのです。
「兵士が、不満を持っては戦はできない」
と。
「蜀」という国は、元々、貧しい村人の集まりでした。
しかし、その少数はいつしか、国を治めるための戦いをする三国のひとつの「蜀」にまでなりました。
三国志の主役は、最後に国を治めた「魏」の「曹操(そうそう)」ですが、
現代に、いちばん語り継がれているのは「蜀」の「劉備玄徳(りゅうびげんとく)」です。
「劉備玄徳」には、とりわけ志がありました。
「戦をなくして、民に平安を与える」
その「劉備玄徳」の軍師となったのが「諸葛亮孔明」 でした。
「算命学」に優れ、自然界の流れを読み、その時々で兵法を変えました。
「霧深い朝の河川敷」を戦いの場としたのには、意味がありました。
しかし、周りには受け入れられませんでした。五里霧中だと。
それでも「劉備玄徳」は「諸葛亮孔明」の「霧深い朝の河川敷」の戦いを選びました。
「諸葛亮孔明」は、その季節の河川敷の性質を知っていたからです。
戦いは、敵味方の区別ができないほどの霧の中で始まりました。
「ほれ、言わんこっちゃない!!」
と、大将たちは兵士を退きあげようとしましたところ、ゆっくりと背中から風が吹き始めたのです。
つまり、風上に立った兵士からは、敵が見えるが、敵の目には霧ばかり押し寄せ戦えなくなったわけです。
勝負はすぐにつきました。
「風を読む」
この言葉は、このときから使われました。
「劉備玄徳」には、「関羽(かんう)」「張飛(ちょうひ)」という、並外れた豪傑が付いていました。
「関羽」は冷静さ。そして「張飛」には瞬発力がありました。
「国に平和をもたらそう」
この3人が誓い合った場所から、その契りは「桃園の誓い(とうえんのちかい)」と名付けられられました。
その3人に「諸葛亮孔明」が加わり「蜀」を大国にしたのです。
多くの勝利は「諸葛亮孔明」の戦術でした。
諸葛亮孔明あり!
とまで言われましたが、志半ばで「劉備玄徳」が病で命を落とした後、諸葛亮孔明が「蜀」を引き継ぐわけです。
しかし、戦術の神とまで言われた「諸葛亮孔明」が「蜀」引き継いだ後、「蜀」は、敗れました。
「適材適所」
だったわけです。
「劉備玄徳」が生まれながらに持った「運」が「蜀」を大国にしたのですね。
「魏」「呉」「蜀」
のなかで、もっとも流血無き戦いをしたのが「蜀」でした。
敵を味方に変えながら大きくなったのです。
「先を見る」
「遠くを見る」
僕が心がけていることです。
みなさん、一昨日のことでは嫌な思いをさせたね。
「起こる出来事」
は、そんな目先のことではありませんよ。
遠くを見よう。
http://www.e-fanclub.com/aska/
ASKA(2018年2月15日 11:55)
これは、当然です。
僕も、そのいろんな人のひとりです。
僕には先頭に立って歩く役割があります。
みなさんには、
「付いておいで」
と、は決して言いません。
「見ていてください」
と、伝えてきました。
僕の選ぶ道は、正解ばかりではありません。
大きなつまずきなら、何度もありました。
ただ、長い道のりで振り返ったときに、
「あの時、あそこでつまづいておいて本当によかった」
そう、思えてきてるんですね。
なので、僕はいつどんな時も、誰に対しても、
「運だけで、ここまでやれてきました」
そう答えます。
心から、そう思っているからです。
この「運」とは、多くのケースで「人との出会い」と言い切れます。
僕を支えてくれる人。
今は、スタッフや友人たち、そしてみなさんです。
「車を洗った日に限って雨が降る」
これを「運が悪い」とは、思っていません。
「いつものことだ」
としか、思いません。
「車があって良かった」
と、思う方なんです。
まだ、僕は自分のことがよく分かっていませんが、「結果論者」でないことは知っています。
どのような気持ちで、そこに向かったかの方が大事なんですね。
「成功」「失敗」など、一瞬のことです。
その瞬間には、次のことが始まっていますので。
ただ、「勝敗の行方」となると、死ぬまでとなります。
いえ、死んでから認められることだってあります。
今回のケースでこれを持ち出すのは、少し屁理屈に映りますか?
僕の中では、生きる上での基盤です。
「ここは途中だ 旅のどこかだ」
その昔、三国志に「諸葛亮孔明(しょかつりょうこうめい)」という軍師がいました。
「魏(ぎ)」「呉(ご)」「蜀(しょく)」
国を統治するために戦った三国の「蜀」の軍師です。
「風を読む」
この言葉は「諸葛亮孔明」から生まれました。
襲撃は月明かりの夜が勝利の法則でしたが、
ある戦で、彼は「月明かり」を選ばず、霧深い朝の風上の河川敷を選びました。
大将たちは驚き、「月明かりの夜」でなくてはならないと詰め寄ったのです。
「兵士が、不満を持っては戦はできない」
と。
「蜀」という国は、元々、貧しい村人の集まりでした。
しかし、その少数はいつしか、国を治めるための戦いをする三国のひとつの「蜀」にまでなりました。
三国志の主役は、最後に国を治めた「魏」の「曹操(そうそう)」ですが、
現代に、いちばん語り継がれているのは「蜀」の「劉備玄徳(りゅうびげんとく)」です。
「劉備玄徳」には、とりわけ志がありました。
「戦をなくして、民に平安を与える」
その「劉備玄徳」の軍師となったのが「諸葛亮孔明」 でした。
「算命学」に優れ、自然界の流れを読み、その時々で兵法を変えました。
「霧深い朝の河川敷」を戦いの場としたのには、意味がありました。
しかし、周りには受け入れられませんでした。五里霧中だと。
それでも「劉備玄徳」は「諸葛亮孔明」の「霧深い朝の河川敷」の戦いを選びました。
「諸葛亮孔明」は、その季節の河川敷の性質を知っていたからです。
戦いは、敵味方の区別ができないほどの霧の中で始まりました。
「ほれ、言わんこっちゃない!!」
と、大将たちは兵士を退きあげようとしましたところ、ゆっくりと背中から風が吹き始めたのです。
つまり、風上に立った兵士からは、敵が見えるが、敵の目には霧ばかり押し寄せ戦えなくなったわけです。
勝負はすぐにつきました。
「風を読む」
この言葉は、このときから使われました。
「劉備玄徳」には、「関羽(かんう)」「張飛(ちょうひ)」という、並外れた豪傑が付いていました。
「関羽」は冷静さ。そして「張飛」には瞬発力がありました。
「国に平和をもたらそう」
この3人が誓い合った場所から、その契りは「桃園の誓い(とうえんのちかい)」と名付けられられました。
その3人に「諸葛亮孔明」が加わり「蜀」を大国にしたのです。
多くの勝利は「諸葛亮孔明」の戦術でした。
諸葛亮孔明あり!
とまで言われましたが、志半ばで「劉備玄徳」が病で命を落とした後、諸葛亮孔明が「蜀」を引き継ぐわけです。
しかし、戦術の神とまで言われた「諸葛亮孔明」が「蜀」引き継いだ後、「蜀」は、敗れました。
「適材適所」
だったわけです。
「劉備玄徳」が生まれながらに持った「運」が「蜀」を大国にしたのですね。
「魏」「呉」「蜀」
のなかで、もっとも流血無き戦いをしたのが「蜀」でした。
敵を味方に変えながら大きくなったのです。
「先を見る」
「遠くを見る」
僕が心がけていることです。
みなさん、一昨日のことでは嫌な思いをさせたね。
「起こる出来事」
は、そんな目先のことではありませんよ。
遠くを見よう。
http://www.e-fanclub.com/aska/
ASKA(2018年2月15日 11:55)
COMMENT
遠くを見ようよのコメント
-
ニックネーム:コドウこのエントリーと今の状況がフィットしたので、少し吐き出させてください。
自分はボランティア活動をしていますが、あるメンバーが、
思い通りにならないことと代表者への不満から、行為を正当化しつつネットで捏造の批判を拡散したり
無断欠席をしたりでクラッシャーと化してしまいました。困ったな…。
腹も立ちますが「いじめの構図」には、絶対にしたくないのです。
そんなとき「遠くを見ようよ」かなと、再度読ませていただきました。 -
ニックネーム:YukkoASKAさん、こんにちは(^O^)
お疲れさま<(_ _)>
今日はいい天気ですね❣️
寒いけれど、空気が澄んでて気持ちも清々しいデス҉٩(*´︶`*)۶ ҉
でも、私は仕事ですぅぅぅ(>_<)
ASKAさん、「付いておいで」って言って貰いたいタイ❣️タイ❣️タイ❣️タイ❣️タイ♪♪(*˘︶˘*).。.:*♡
ASKAさん、お身体に気を付けてネ💗💗💗
今日もp(´∇`)q ファイトォ~♪ -
ニックネーム:Choucho支えてくれる人がいてほっとしました。はじまりはいつも雨
大好きな曲です。
音楽を続けてくださいね
私はいつも孤独です
ある意味とても羨ましい
音楽っていいですね -
ニックネーム:pom-pomASKAさん、こんにちは。
いつもブログ楽しみにしています。
三国志、名前だけは知っている状態だったのですが
今回のエピソードを読んでとても興味がわいたのでちゃんと読んでみようと思います。
三国志を題材にした書籍はたくさんあると思うので
ASKAさんが読んだ三国志を紹介してもらえたらうれしいです。 -
ニックネーム:moon_aiASKAさん、こんにちは。
みんなが幸せになれるように。
ASKAさんはいつもその事を考えているように思います。
損得考えなくて、だから不器用にも見えて。
ダメなものはダメが通じなくて、
「でもでもだって」で押し通す。
あ、個人的な感想ですけど、そんな印象のあるASKAさん。
アーティストやアスリートにはそのしつこさが必要なのかなと感じます。
ASKAさんが願う、幸せが叶いますように。