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もうひとつの感謝祭



今、福岡です。

今日は、僕が幼少期から剣道を続けてきた福岡の「大野北剣道スポーツ少年団」より、父への感謝祭があった。

今年に入ってすぐ、父の「感謝祭を行いたいので出席してください」と。

現在、僕もここの指導員。

父は、ここの第2代目の、一般的にわかりやすく説明すると「館長」だね。
僕たちは館長とは呼ばないけど、世間には「館長」言った方がわかりやすいかな。

今では、教え子たちが持ちまわりで「館長」をやってくれてる。
もう設立58年になるのかな?
ん?57年だっけ?
あやふや・・・。

まもなく60周年になる。

あの時、子供だった剣士達が、今では指導する立場となり、みんな父のことを労ってくれる。

発足当時は、試合に出ては負け、出ては負け。
しかし、一度勝者となると、大野北はそこからは負けない道場になった。
「負けない」とは、必ず3位に入る強豪道場となったということ。

いつしか、相手のチームからは、

「ダメだ、次は大野北とだ・・・」

と、言われるようになった。

この頃、このように強い道場には、多くの先生たちが集まった。
特に「金曜日」は先生の数が多く、僕たちは「魔の金曜日」と呼んでいた。
なぜならば、僕たちに課せられたことは、

「全部の先生にかかっていけ!」

だったから。

以前も、ここで語ったことがある。
どの試合に出ても、ほぼ負けることがなかった僕たちにはいつの間にか造語ができた。

「勝ち癖」

「負け癖」という言葉はあったけど「勝ち癖」という言葉はなかった。
僕たちは、その言葉を好んで使った。

そして、僕は音楽界にデビュー。
デビュー後も、僕はミュージシャンの友人より、スポーツ選手の友人の方が多かった。
特に野球選手は多かったな。

そこで、僕がよく一軍、二軍選手に向かって口にしていたのは、

「時に、自分のスキルよりメンタルの方が大切な時があるからね。大事なのは負けないムードを作ること。
勝つ癖をつけるんだよ。勝ち癖」

みんな誰も、

「なるほど!それ面白いですね!」

と、言ってくれた。
僕は、調子に乗っていろんな取材でもそれを語った。

今日は、それを最後の挨拶で述べてきた。

「現在、アスリートたちが『勝ち癖」という言葉を使ってるけど、それは、ここ大野北剣道スポーツ少年団から広がったんです」

本気でそう思ってます。

今日、父は恐縮しっぱなし。
昨年末94歳になった。

父は幸せ者だ。







ASKA(2024/3/15 21:55)