第70回「ASKA Terminal Melody」あはは(^_^)リクエストされちゃったよ。
今週はリクエスト回でした。
こんなこと・・・あるんだなぁ(笑)
ひとつ前のブログで紹介した
「ナオトインティライミ」君
彼が口にした曲が
「モナリザの背中よりも」
でした。
A「それ、ゲスト出演してくれた時リクエストしてよ。まだ番組開始から一度もかかってないと思う。オレたちのライブでは人気曲なんだよ」
N「えー!?それは楽しみです」
なんて、先ほど会話したばかり。
あはは(^_^)リクエストされちゃったよ。
ナオト君と会話をしていた時、横に僕の事務所の社長もいました。
古舘さんではないですが「掟破りの直接交渉」でしたからね。
さて、ではナオト君はなんの曲をリクエストしてくれるのでしょうかね。
僕は、彼との出会いをよく覚えています。
彼もそうだった。
その時のことは、彼が出演してくれた時に書きますね。
リクエストしてくださった方。
そうか、C&Aはバラードのイメージが強かったのか。
「TREE」のMV集かな?
それを観ずにライブに足を運んでいたら、驚いたでしょうね。
おおよそ、バラードのイメージは吹っ飛んだと思います。
1曲目の「TURNING POINT」は、ヘヤーメイクになることを目標とされた方の背中を押した曲になっていましたか。
「影響を与える側は、影響を与えたことを知らない。
影響は、与えられた人だけのもの」
これは、ずっと語ってきたことです。
まさに、それを体験させてくれました。
この曲は、ワーナーパオニアからキャニオンレコード移籍後、第一弾オリジナルアルバムのタイトル曲になりました。
あの頃、音楽業界にもバブルへの導線が見え始めてた。
僕は、とにかく力強い曲を書きたかった。
覚えたてのパソコン、そしてカモンミュージックというソフトで作り込みました。
あ、やーさん(矢賀部竜成)も、寝ずに付き合ってくれたなぁ。
あの当時、この曲はライブの鉄板曲でした。
「横浜スタジアム」で、歌ったのが印象深いですね。
CHAGEの衣装を見た時、
「お前、なに人だよ?カメレオンかよ」
でした。
ライブ中、電源が落ちて大変な事態に陥りましたが、なんとか最後までやり切った。
思い出深い曲です。
3曲目は
「蘇州夜曲」
でした。
僕の初ソロアルバムでしたね。
音楽界のサラブレッド「服部隆之」、通称「たかちゃん」のお爺様「服部良一」さんの名作です。
この曲をカバーするに当たってのエピソードは以前書きましたね。
https://www.fellows.tokyo/blog/?id=2126
あの頃、(シンガーソングライターの)アーティストがカバーをするという発想は稀有でした。
どうしても歌いたかった曲でした。
河口湖スタジオで合宿をしながらのレコーディングでした。
編曲家「瀬尾一三」さんの底力を見せつけられた。
リクエストされた方のお母様も好きな曲だったんですね。
僕の両親もでした。
カバーをして喜ばせたかった。
「服部良一生誕100年」、年末番組「レコード大賞」で、服部家指名で「蘇州夜曲」を歌わせていただいたのは、とても光栄でした。
「モナリザの背中よりも」
ロンドンで作ったなぁ。
モナリザって、誰もが知る絵。
しかし、モナリザの背中を見た人は誰もいない。
今、「アールグラージュ」と、お付き合いさせていただいています。
リクエストをしています。
「モナリザの背中越しから見た光景を絵にしてくれないだろうか?」
と。
「レオナルド・ダビンチ」は、いったいどのような顔をして、モナリザを描いていたのでしょうか?
そして、その絵を描いたアトリエは、どんな部屋だったんだろう?
作品が仕上がるのが楽しみです。
ASKA(2022/6/5 24:54)
こんなこと・・・あるんだなぁ(笑)
ひとつ前のブログで紹介した
「ナオトインティライミ」君
彼が口にした曲が
「モナリザの背中よりも」
でした。
A「それ、ゲスト出演してくれた時リクエストしてよ。まだ番組開始から一度もかかってないと思う。オレたちのライブでは人気曲なんだよ」
N「えー!?それは楽しみです」
なんて、先ほど会話したばかり。
あはは(^_^)リクエストされちゃったよ。
ナオト君と会話をしていた時、横に僕の事務所の社長もいました。
古舘さんではないですが「掟破りの直接交渉」でしたからね。
さて、ではナオト君はなんの曲をリクエストしてくれるのでしょうかね。
僕は、彼との出会いをよく覚えています。
彼もそうだった。
その時のことは、彼が出演してくれた時に書きますね。
リクエストしてくださった方。
そうか、C&Aはバラードのイメージが強かったのか。
「TREE」のMV集かな?
それを観ずにライブに足を運んでいたら、驚いたでしょうね。
おおよそ、バラードのイメージは吹っ飛んだと思います。
1曲目の「TURNING POINT」は、ヘヤーメイクになることを目標とされた方の背中を押した曲になっていましたか。
「影響を与える側は、影響を与えたことを知らない。
影響は、与えられた人だけのもの」
これは、ずっと語ってきたことです。
まさに、それを体験させてくれました。
この曲は、ワーナーパオニアからキャニオンレコード移籍後、第一弾オリジナルアルバムのタイトル曲になりました。
あの頃、音楽業界にもバブルへの導線が見え始めてた。
僕は、とにかく力強い曲を書きたかった。
覚えたてのパソコン、そしてカモンミュージックというソフトで作り込みました。
あ、やーさん(矢賀部竜成)も、寝ずに付き合ってくれたなぁ。
あの当時、この曲はライブの鉄板曲でした。
「横浜スタジアム」で、歌ったのが印象深いですね。
CHAGEの衣装を見た時、
「お前、なに人だよ?カメレオンかよ」
でした。
ライブ中、電源が落ちて大変な事態に陥りましたが、なんとか最後までやり切った。
思い出深い曲です。
3曲目は
「蘇州夜曲」
でした。
僕の初ソロアルバムでしたね。
音楽界のサラブレッド「服部隆之」、通称「たかちゃん」のお爺様「服部良一」さんの名作です。
この曲をカバーするに当たってのエピソードは以前書きましたね。
https://www.fellows.tokyo/blog/?id=2126
あの頃、(シンガーソングライターの)アーティストがカバーをするという発想は稀有でした。
どうしても歌いたかった曲でした。
河口湖スタジオで合宿をしながらのレコーディングでした。
編曲家「瀬尾一三」さんの底力を見せつけられた。
リクエストされた方のお母様も好きな曲だったんですね。
僕の両親もでした。
カバーをして喜ばせたかった。
「服部良一生誕100年」、年末番組「レコード大賞」で、服部家指名で「蘇州夜曲」を歌わせていただいたのは、とても光栄でした。
「モナリザの背中よりも」
ロンドンで作ったなぁ。
モナリザって、誰もが知る絵。
しかし、モナリザの背中を見た人は誰もいない。
今、「アールグラージュ」と、お付き合いさせていただいています。
リクエストをしています。
「モナリザの背中越しから見た光景を絵にしてくれないだろうか?」
と。
「レオナルド・ダビンチ」は、いったいどのような顔をして、モナリザを描いていたのでしょうか?
そして、その絵を描いたアトリエは、どんな部屋だったんだろう?
作品が仕上がるのが楽しみです。
ASKA(2022/6/5 24:54)
COMMENT
第70回「ASKA Terminal Melody」あはは(^_^)リクエストされちゃったよ。のコメント
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ニックネーム:ポン太お疲れ様(*^-^)ノです、毎週日曜日楽しみにしています。askaさんは、本当に毎回聞いているんですね、私は初回から聞いています。
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ニックネーム:MonaLisaイギリスの小さなライブハウスで歌った映像ありましたね。現地の方の心に、偽りなく響いていたのがとても印象的でした。その後のポテンシャルを世の中に宣言したような、転換の象徴曲だと思っています。今夜はなんか嬉しいです。
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ニックネーム:Bou'zきーみを包んだ~ラインに触れる~って
触られたい…🤣 -
ニックネーム:1979年8月25日生まれモナリザだったか…🌠
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ニックネーム:裕子TURNING POINT も
モナリザの背中よりも
この2曲は最高に盛り上がれます☝