「稲田耕三」【追記】
知り合いでも何でもない、
この、
「稲田耕三」という人の名前を、今でも間違えることなく書ける。
昨夜、この「稲田耕三」さんが、若さ故、そしてあまりにも繊細な故、
彼が、高校生の時に抱えた葛藤、そして体験を綴った
「高校放浪記」
の話を、祥太に伝えました。
20年ほど前に、雑誌社から、
「今、お会いしたい人はいませんか?」
と、聞かれ、僕は、
「稲田耕三さん」
と、伝えたんですよね。
当時、雑誌担当者が、
「高校放浪記」「稲田耕三」
を、どれだけ調べてもたどり着かなかった。
昨夜、ふと彼の事を思い出し、検索してみたら、
出てくる、出てくる。
彼は、医大を目指すほど、成績優秀でありながらも、
大人への階段を踏み外し、喧嘩に明け暮れ、何度も転校、退学を繰り返すという青年期を過ごしました。
僕は、その本の中で「放校」というものがあることを知った。
「放校」とは、もう高校生ではいられなくなるという最後の一線でした。
全4巻でまとめられた本でした。
彼が心を開いていたのは
唯一、
「米子のおばさん」
いち読者でありながらも、その「米子のおばさん」に、どれほど感謝をしたことか。
それくらい感情移入をさせられた本でした。
何とか、青春期を乗り越え、
彼が「塾講師」になったのは、僕の記憶違いだったのかなぁ・・・。
彼の、その後を僕はずっと知りたかった。
昨夜、その「稲田耕三」らしき人物が、北九州で「麻酔科部長」となっているのを知りました。
同姓同名かもしれない。
しかし、医学を目指した彼が「麻酔科医師」となっていても変じゃない。
僕らの業界では
若者の代弁者として「尾崎豊」君が居たように、
当時の僕らには「稲田耕三」という名前があった。
もう、70歳を過ぎられているのかな。
僕が、著書「700番」を書いたとき、
周りからは、
「なぜ、そこまで書く必要があるのか」
と、反対されました。
「Fellows」には、その「『700番』を読んで、会員になった」たという方が何人もいらっしゃる。
きっと、あの時「稲田耕三」氏の「高校放浪記」を読んでいなかったら、
僕は「700番」を書くことはなかったかもしれません。
もし、「麻酔科部長:稲田耕三」さんが、本当に彼であったならば、
約45年の時を経て、彼の今を知ることができたということになります。
彼であって欲しい。
もし、稲田さんとお会いできる日が訪れましたら、
あの頃の彼の話を聞くつもりはなく、今の「稲田耕三」さんと、普通に何気ない話をしてみたい。
僕にとっては、そんな方です。
ASKA(2021/5/14 12:06)
追記:
そうか。
北九州の麻酔科医師「稲田耕三」さんは、同姓同名で別の方なんですね。
僕も、今、調べました。
昨夜、祥太に話をした後。
「現在、北九州の病院で、麻酔科部長をされています」
の、一文に反応し、
「その後」を知れたことの喜びで、そのままパソコンを閉じ、
僕が覚えていた限りの稲田さんの事を祥太に伝えたのでした。
やはり「塾講師」、そして「塾経営」をされていたのですね。
弘兼憲史さんが、稲田さんを描かれていたのは知りませんでした。
それを知ってたなら、弘兼さんとお食事をした時、その話で盛り上がっていたことでしょう。
先ほど、Amazonの読者コメントで、
「あの時ほどの感動はなかった」
と、いうように書かれていた方がいらっしゃいました。
それは、書かれた方が、あれから今までの時間の中で、社会人として成長されたからでしょう。
いろんなことを知り、生きるスキルを身につけた今、そう感じられた事も本当なのでしょうね。
大人になれば、プライドを持って頭を下げる事もできるようになる。
あの時、高校生だった「稲田耕三」さんには、
まだ、そのような振る舞いをすることができなかった。
今、僕がもう一度読み返してみてどう感じるか、自分にもわかりません。
あの時代、夢中になって読み、感銘を受けた本であったことに変わりはありません。
(14:18 )
この、
「稲田耕三」という人の名前を、今でも間違えることなく書ける。
昨夜、この「稲田耕三」さんが、若さ故、そしてあまりにも繊細な故、
彼が、高校生の時に抱えた葛藤、そして体験を綴った
「高校放浪記」
の話を、祥太に伝えました。
20年ほど前に、雑誌社から、
「今、お会いしたい人はいませんか?」
と、聞かれ、僕は、
「稲田耕三さん」
と、伝えたんですよね。
当時、雑誌担当者が、
「高校放浪記」「稲田耕三」
を、どれだけ調べてもたどり着かなかった。
昨夜、ふと彼の事を思い出し、検索してみたら、
出てくる、出てくる。
彼は、医大を目指すほど、成績優秀でありながらも、
大人への階段を踏み外し、喧嘩に明け暮れ、何度も転校、退学を繰り返すという青年期を過ごしました。
僕は、その本の中で「放校」というものがあることを知った。
「放校」とは、もう高校生ではいられなくなるという最後の一線でした。
全4巻でまとめられた本でした。
彼が心を開いていたのは
唯一、
「米子のおばさん」
いち読者でありながらも、その「米子のおばさん」に、どれほど感謝をしたことか。
それくらい感情移入をさせられた本でした。
何とか、青春期を乗り越え、
彼が「塾講師」になったのは、僕の記憶違いだったのかなぁ・・・。
彼の、その後を僕はずっと知りたかった。
昨夜、その「稲田耕三」らしき人物が、北九州で「麻酔科部長」となっているのを知りました。
同姓同名かもしれない。
しかし、医学を目指した彼が「麻酔科医師」となっていても変じゃない。
僕らの業界では
若者の代弁者として「尾崎豊」君が居たように、
当時の僕らには「稲田耕三」という名前があった。
もう、70歳を過ぎられているのかな。
僕が、著書「700番」を書いたとき、
周りからは、
「なぜ、そこまで書く必要があるのか」
と、反対されました。
「Fellows」には、その「『700番』を読んで、会員になった」たという方が何人もいらっしゃる。
きっと、あの時「稲田耕三」氏の「高校放浪記」を読んでいなかったら、
僕は「700番」を書くことはなかったかもしれません。
もし、「麻酔科部長:稲田耕三」さんが、本当に彼であったならば、
約45年の時を経て、彼の今を知ることができたということになります。
彼であって欲しい。
もし、稲田さんとお会いできる日が訪れましたら、
あの頃の彼の話を聞くつもりはなく、今の「稲田耕三」さんと、普通に何気ない話をしてみたい。
僕にとっては、そんな方です。
ASKA(2021/5/14 12:06)
追記:
そうか。
北九州の麻酔科医師「稲田耕三」さんは、同姓同名で別の方なんですね。
僕も、今、調べました。
昨夜、祥太に話をした後。
「現在、北九州の病院で、麻酔科部長をされています」
の、一文に反応し、
「その後」を知れたことの喜びで、そのままパソコンを閉じ、
僕が覚えていた限りの稲田さんの事を祥太に伝えたのでした。
やはり「塾講師」、そして「塾経営」をされていたのですね。
弘兼憲史さんが、稲田さんを描かれていたのは知りませんでした。
それを知ってたなら、弘兼さんとお食事をした時、その話で盛り上がっていたことでしょう。
先ほど、Amazonの読者コメントで、
「あの時ほどの感動はなかった」
と、いうように書かれていた方がいらっしゃいました。
それは、書かれた方が、あれから今までの時間の中で、社会人として成長されたからでしょう。
いろんなことを知り、生きるスキルを身につけた今、そう感じられた事も本当なのでしょうね。
大人になれば、プライドを持って頭を下げる事もできるようになる。
あの時、高校生だった「稲田耕三」さんには、
まだ、そのような振る舞いをすることができなかった。
今、僕がもう一度読み返してみてどう感じるか、自分にもわかりません。
あの時代、夢中になって読み、感銘を受けた本であったことに変わりはありません。
(14:18 )
COMMENT
「稲田耕三」【追記】のコメント
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ニックネーム:ShanaFly BeatzKindle版で購入してなかなか読む時間ができなかったんですが、今日からまた読んでいます。十人十色って言いますが、いろんな学生時代がありますね。私も高校1年の頃、この本のような喧嘩がありました。私の中では「心の行き違い」みたいなモノでしたが。まだ読み始めて40ページだけど思い出しました。
ASKAさんがこの本のことをココに書いた理由、想像するためにも読み進めていきますね。 -
ニックネーム:お米ちゃんASKAさん、おはようございます😍
お疲れ様です🙇♀️
ASKAさんが感情移入されたと仰る稲田耕三さんの本を読んでみたくなりました。弘兼憲史さん共、交友関係が、お有りなんですね。「人間交差点」が大好きで5ヶ月程前に名作集が発売されていたので購入致しました。(まだ読んいません💦)ASKAさんの大ファンで有りながら「700番」を知りません是非、購入したいと思います。今日は「人間交差点」を読んでみます。 -
ニックネーム:はなちゃん話はちょっと違いますが、ひょんなことから息子と同級生のいわゆる道を外れた子に会いました。親からも見放され一人ぼっちだと言う彼の相談になってました。その彼が夢を見つけた❗って。私が社会の先生であったことから、日本史の先生になりたいと言って通信教育を受けています。いい先生になって欲しいです。
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ニックネーム:s.k.『高校放浪記』また探してみますね!
長年ASKAさんの歌を聴いてきましたが、ミュージシャンのASKAさんとしての一面しか見てなかったことに気づきました。ASKAさんも一人の人間として、大きな苦しみを抱えていらしたんだなと知って、心が痛みました。いろいろあっても、ASKAさんの歌は好きでずっと聴いてきたので、この先も聴いていきたいなと思っていますよ😊 -
ニックネーム:まぶやー甥っ子もiPhoneを落としてヒビが入っていましたが、Apple careに出すと修理に相当時間が掛かるのと、代替え機種も何かと面倒くさいと言って、しばらくそのまま使い続けていましたが(;^ω^)
たまに電車やバスなどで蜘蛛の巣🕸状に割れたスマホ画面のままの人がいて(男女問わずいます)、そんな画面を注視するのがストレスにならないのかと気になってしまいます。
ASKAさんも、例え表部分が無事でもそのままにしないで下さいね〜。