「日曜のお話」〜誰にも話してこなかったこと【追記】
今日の「日曜のお話」は、
Twitterでお約束しましたとおり、一般公開させていただきますね。
みなさんは、
「タイムスリップ」
「パラレルワールド」
というものを信じますか?
僕は、子供の頃から、そのような不思議なことを受け入れてしまいます。
それは、幼児体験が基になっているからです。
僕には、これまで誰にも話していなかったことがあります。
何故ならば、誰にも理解してもらえないだろうと思ってきたからです。
昭和37年の夏だったと思います。
4歳でした。
半袖を着ていた覚えがあります。
その日、僕は母と二人で、福岡天神に行きました。
天神には何のために行ったのかは覚えていません。
3つ下の妹は一緒ではありませんでした。
まだ乳飲み子でしたので、その日は父が家で面倒を見ていたのでしょう。
父の職業は自衛官でしたので、
その日が日曜日、もしくは祝日であったのだと思います。
故郷、福岡県には、県民に最も利用されています
「西鉄大牟田線」
と、いうのがあります。
電車に乗るのは好きでしたね。
上りは(福岡)天神駅が終着駅となります。
下りは、始発駅となります。
僕の降りる駅「春日原駅」までは、7つ目です。
天神〜薬院〜平尾〜高宮〜大橋〜井尻〜雑餉隈(ざっしょのくま)〜春日原(かすがばる)
4歳の僕は、天神からの帰り、
次の駅名を車掌さんより早く口にするのが好きでした。
そんな僕は、母にも、周りの乗客にも、きっと得意げに映っていたことでしょうね。
「つぎは〜やくいん、やくいん〜」
「つぎは〜ひらお、ひらお〜」
その日、僕と母は車内で立っていました。
車内はそれほど混んでいた覚えはありませんが、確かに立っていました。
僕は、母の手と電車内のポールを掴んで立ってました。
平尾から高宮に向かう途中でした。
急にお腹が痛くなってきたのです。
そう、急にウンチをしたくなったのですね。
母にそれを告げると、
「春日原まで我慢しなさい」
と、言う。
僕も、我慢できると思っていたのです。
しかし、そうはなりませんでした。
高宮から大橋の間で、我慢ができなくなり、
身体に力が入ってきていました。
「お母さん、もう我慢できん!」
「大橋駅で降りようかね」
誰よりも先にドアの前に立ち、電車が大橋駅に着き、ドアが開いた瞬間に、
僕は真っ先に飛び出し、大橋駅のトイレに駆け込んだのです。
今では、時代も変わり、
駅の多くは高架になっていますが、
当時の大橋駅は、ホームから駅の改札口に向かうまで、スロープ状になっていました。
緩やかな坂になっていたということです。
改札口のトイレまでは、その坂を下って、もうひとつ線路を渡らなくてはなりません。
大橋駅は、急行、特急追い越しのために、ホームの両側にレールがありました。
坂を下って線路を渡ったというのは、その追い越し車線用の線路のことです。
すぐにトイレに駆け込み、用を足した後、母のところに戻りました。
母はトイレの外で待っていてくれました。
そうして、もう一度線路を渡り、ホームに上がると、すぐに電車は来ました。
僕のお腹は普通になりましたので、また、次の駅名を口にしました。
「つぎは〜いじり、いじり〜」
しかし、車掌さんはそう言わなかった。
「つぎは〜お〜はし、お〜はしでございます」
僕は子供心に、
「あ?車掌さん、間違えた!」
と、思ったのですね。
しかし、着いた駅は「大橋駅」だった・・・。
たったいま、僕がトイレに駆け込んだ駅です。
トイレを済ませた僕が乗った電車の次の駅は「井尻」です。
でも、大橋駅だった・・・。
僕は母に、
「なんで大橋に来たと?なんで井尻やなかと?」
母は、
「なんね?ここ大橋やないね」
「いま、大橋でウンチしたやん!」
「誰がね?」
「いま、僕は大橋でウンチしたやん!!」
「なん、言いようとね。いま大橋に着いたばっかやんね」
僕は怖くなりました。
母は、僕が大橋でウンチのために降りたことを覚えてない。
いや、それを知らない・・・。
家に帰ってから、その夜、父にも話したのですが、
父は母の話の方を信じます。
あまりにも不思議な出来事であったため、僕は、それを忘れようと決めたのかもしれません。
その後、この話は誰にもしませんでした。
しかし、タイムスリップもののドラマや映画を見るたびに、
その出来事を思い出してなりませんでした。
僕が、なぜ、このように言い切れているのか。
それは、「大橋駅」という特別な駅だったからです。
天神から春日原まで、「急行、特急追い越し」のホームがあるのは、
大橋駅と春日原だけだったからです。
一目散でトイレに駆け込む僕は、もう一つ線路を渡らなくてはならなかった。
大人の足で数歩で渡れる線路さえ、トイレに駆け込もうとする子供の足ではさらに遠く感じたからです。
最近「パラレルワールド」という言葉が知られるようになりました。
もう一つの別の世界・・・。
あの瞬間が、それではなかったかと思うようになりました。
そうなると、僕は、以前の母とは違う、別のもうひとりの母と暮らしてきたことになります。
しかし、そうではありませんね。
母は、僕の昨日のことも、一年前の出来事も同じことを語っていましたので、
「もうひとりの別の母」ではない。
僕を産んでくれた同じ母で間違いありません。
大橋駅で降りた僕が、また、大橋駅に着いた。
あれは、僕だけに起こった出来事と考えるしかありません。
もし、パラレルワールドというものが存在しているとするならば、
もうひとりの僕は、何をやっているのでしょう。
「パラレルワールド」を、ご存知ではない方は、どうぞ検索されてください。
今日は持論ではなく、自身の体験による
「日曜のお話」
でした。
ASKA(2020/6/28 10:00)
追記:
「4歳が駅のトイレの場所を把握出来るわけがありません😂
今、1週間前に食べた昼食を思い出せますか?人間の記憶ってそんなものですよ」
来ると思ったんだ、この疑問(笑)
4歳の子供なら切符も見せなくとも、駅員さんに大声で聞けば、
駅員さんは切符など確かめず、トイレの場所を教えてくれます。
昭和37年、そんな時代です。
とは、書いたものの、僕の記憶では駅員さんに声をかけた覚えはないんですね。
もしかしたら、改札出口の前にトイレがあったのかもしれません。
これは、当時大橋駅を利用されていた方にしかわからないですね。
僕も知りたいです。
高架前の大橋駅のアーカイブがありました。
写真2段目の二つで良く分かります。
高校生の頃は、まだ、駅は同じでしたね。
http://www.nishitetsu.co.jp/museum/location/10.html
Twitterでお約束しましたとおり、一般公開させていただきますね。
みなさんは、
「タイムスリップ」
「パラレルワールド」
というものを信じますか?
僕は、子供の頃から、そのような不思議なことを受け入れてしまいます。
それは、幼児体験が基になっているからです。
僕には、これまで誰にも話していなかったことがあります。
何故ならば、誰にも理解してもらえないだろうと思ってきたからです。
昭和37年の夏だったと思います。
4歳でした。
半袖を着ていた覚えがあります。
その日、僕は母と二人で、福岡天神に行きました。
天神には何のために行ったのかは覚えていません。
3つ下の妹は一緒ではありませんでした。
まだ乳飲み子でしたので、その日は父が家で面倒を見ていたのでしょう。
父の職業は自衛官でしたので、
その日が日曜日、もしくは祝日であったのだと思います。
故郷、福岡県には、県民に最も利用されています
「西鉄大牟田線」
と、いうのがあります。
電車に乗るのは好きでしたね。
上りは(福岡)天神駅が終着駅となります。
下りは、始発駅となります。
僕の降りる駅「春日原駅」までは、7つ目です。
天神〜薬院〜平尾〜高宮〜大橋〜井尻〜雑餉隈(ざっしょのくま)〜春日原(かすがばる)
4歳の僕は、天神からの帰り、
次の駅名を車掌さんより早く口にするのが好きでした。
そんな僕は、母にも、周りの乗客にも、きっと得意げに映っていたことでしょうね。
「つぎは〜やくいん、やくいん〜」
「つぎは〜ひらお、ひらお〜」
その日、僕と母は車内で立っていました。
車内はそれほど混んでいた覚えはありませんが、確かに立っていました。
僕は、母の手と電車内のポールを掴んで立ってました。
平尾から高宮に向かう途中でした。
急にお腹が痛くなってきたのです。
そう、急にウンチをしたくなったのですね。
母にそれを告げると、
「春日原まで我慢しなさい」
と、言う。
僕も、我慢できると思っていたのです。
しかし、そうはなりませんでした。
高宮から大橋の間で、我慢ができなくなり、
身体に力が入ってきていました。
「お母さん、もう我慢できん!」
「大橋駅で降りようかね」
誰よりも先にドアの前に立ち、電車が大橋駅に着き、ドアが開いた瞬間に、
僕は真っ先に飛び出し、大橋駅のトイレに駆け込んだのです。
今では、時代も変わり、
駅の多くは高架になっていますが、
当時の大橋駅は、ホームから駅の改札口に向かうまで、スロープ状になっていました。
緩やかな坂になっていたということです。
改札口のトイレまでは、その坂を下って、もうひとつ線路を渡らなくてはなりません。
大橋駅は、急行、特急追い越しのために、ホームの両側にレールがありました。
坂を下って線路を渡ったというのは、その追い越し車線用の線路のことです。
すぐにトイレに駆け込み、用を足した後、母のところに戻りました。
母はトイレの外で待っていてくれました。
そうして、もう一度線路を渡り、ホームに上がると、すぐに電車は来ました。
僕のお腹は普通になりましたので、また、次の駅名を口にしました。
「つぎは〜いじり、いじり〜」
しかし、車掌さんはそう言わなかった。
「つぎは〜お〜はし、お〜はしでございます」
僕は子供心に、
「あ?車掌さん、間違えた!」
と、思ったのですね。
しかし、着いた駅は「大橋駅」だった・・・。
たったいま、僕がトイレに駆け込んだ駅です。
トイレを済ませた僕が乗った電車の次の駅は「井尻」です。
でも、大橋駅だった・・・。
僕は母に、
「なんで大橋に来たと?なんで井尻やなかと?」
母は、
「なんね?ここ大橋やないね」
「いま、大橋でウンチしたやん!」
「誰がね?」
「いま、僕は大橋でウンチしたやん!!」
「なん、言いようとね。いま大橋に着いたばっかやんね」
僕は怖くなりました。
母は、僕が大橋でウンチのために降りたことを覚えてない。
いや、それを知らない・・・。
家に帰ってから、その夜、父にも話したのですが、
父は母の話の方を信じます。
あまりにも不思議な出来事であったため、僕は、それを忘れようと決めたのかもしれません。
その後、この話は誰にもしませんでした。
しかし、タイムスリップもののドラマや映画を見るたびに、
その出来事を思い出してなりませんでした。
僕が、なぜ、このように言い切れているのか。
それは、「大橋駅」という特別な駅だったからです。
天神から春日原まで、「急行、特急追い越し」のホームがあるのは、
大橋駅と春日原だけだったからです。
一目散でトイレに駆け込む僕は、もう一つ線路を渡らなくてはならなかった。
大人の足で数歩で渡れる線路さえ、トイレに駆け込もうとする子供の足ではさらに遠く感じたからです。
最近「パラレルワールド」という言葉が知られるようになりました。
もう一つの別の世界・・・。
あの瞬間が、それではなかったかと思うようになりました。
そうなると、僕は、以前の母とは違う、別のもうひとりの母と暮らしてきたことになります。
しかし、そうではありませんね。
母は、僕の昨日のことも、一年前の出来事も同じことを語っていましたので、
「もうひとりの別の母」ではない。
僕を産んでくれた同じ母で間違いありません。
大橋駅で降りた僕が、また、大橋駅に着いた。
あれは、僕だけに起こった出来事と考えるしかありません。
もし、パラレルワールドというものが存在しているとするならば、
もうひとりの僕は、何をやっているのでしょう。
「パラレルワールド」を、ご存知ではない方は、どうぞ検索されてください。
今日は持論ではなく、自身の体験による
「日曜のお話」
でした。
ASKA(2020/6/28 10:00)
追記:
「4歳が駅のトイレの場所を把握出来るわけがありません😂
今、1週間前に食べた昼食を思い出せますか?人間の記憶ってそんなものですよ」
来ると思ったんだ、この疑問(笑)
4歳の子供なら切符も見せなくとも、駅員さんに大声で聞けば、
駅員さんは切符など確かめず、トイレの場所を教えてくれます。
昭和37年、そんな時代です。
とは、書いたものの、僕の記憶では駅員さんに声をかけた覚えはないんですね。
もしかしたら、改札出口の前にトイレがあったのかもしれません。
これは、当時大橋駅を利用されていた方にしかわからないですね。
僕も知りたいです。
高架前の大橋駅のアーカイブがありました。
写真2段目の二つで良く分かります。
高校生の頃は、まだ、駅は同じでしたね。
http://www.nishitetsu.co.jp/museum/location/10.html
COMMENT
「日曜のお話」〜誰にも話してこなかったこと【追記】のコメント
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ニックネーム:A-su時間が早く進んだので調整されたのかな?
自分たちは本当にゲームの中で(仮想世界で)生きているだけかもしれないです。
いづれ科学が証明してくれる時が来る。ですね。 -
ニックネーム:ひろりん私もあります。
「朝だよ」と母に起こされ、シャワーを浴びたら、なんと真水!
「つ、つ、冷たい😭」あまりの冷たさにビックリしてお風呂場から飛びだすと、家中真っ暗。
時計は夜中の2時。
何故か?夜中の2時に冷たいシャワーを浴びていました。
起こしたはずの母は布団で寝ていました。 -
ニックネーム:あー🎯井尻に住んでいました。昔の井尻駅はこんなやったんですね。ありがとうございます。
平成の最初に住んでいたのですが、駅前にあった定食やさんの、お好み焼きが独特で大好きでした。 -
ニックネーム:かな不思議な体験ですね。
不思議。 -
ニックネーム:7moonASKAさん、こんにちは!
ASKAさんのこういったお話やスピリチュアルなお話とても興味深いです。
ASKAさんは幼い頃の記憶力いいと思うので、本当に体験されたんでしょうね😳✨
またそんな話があれば聞かせてください❗️