「はい!ダイヤルリクエストです!」
僕が、北海道千歳に住んでいました時、夕方5時から、
「はい!ダイヤルリクエストです!」
なんていう番組がありました。
ラジオ番組です。
思えば、僕が洋楽の魅力を知ったのは、その番組からなんですね。
70年代の洋楽は、メロディの宝庫です。
「AppleTV」というのがありまして、それをテレビに接続すると、
「70's Pops」
「80's Pops」
「90's Pops」
など、ラジオ番組がありまして。
アメリカの放送局の番組を24時間聴けます。
僕は、もっぱら「70's Pops」を聴いています。
お客さんが来られた時も、バックグラウンドで流していますので、
「おー!!この曲!懐かしいなぁ!!」
などと、話が弾みます。
僕が、初めてテレビに映ったのは4歳の時でした。
九電体育館でした。
この話は、何度かしてますが、
地元放送局、RKB主催でした。
その中で、坂本九さんが、確か「ダニー飯田とパラダイスキング」にイジメられるコントがあったのです。
4歳の少年には、それが、ただのコントであることなど分かりません。
本気でイジメられてると思ったのです。
母親の元から離れ、最前列の柵まで走って行き、
「九ちゃんを、イジメるなーー!!!!」
と、やってしまいまして、それがテレビにドアップとなりました。
面白い話ですので、RKB放送の方が、何度となくその記録を探してくださったのですが、
当時は、ビデオテープではなく、フィルムでしたので、膨大に膨れてゆく記録を、
全て始末してしまったのだろうと、話してくれました。
それが、僕のテレビデビューです。
と、ここまで書くと、
「じゃぁ。ラジオは?」
と、なるでしょう?
もちろんです。
中3の時でした。
当時、何にもない千歳に「マルセンデパート」と「ビートル」という、二つのショッパーズが、現れたのです。
その二つが出来ただけで、街に活力が溢れました。
用もないのに、毎日行ってましたね。
その「ビートル」に、
「はい!ダイヤルリクエストです!」
が、来たのです。
生放送中に、聴者から電話リクエストが、バンバン入るんです。
そのリクエスト数により、毎日、楽曲のベスト10が入れ替わります。
その中継が、活気付いた千歳の「ビートル」で行われました。
2Fの本屋さんでした。
もの凄い人・・・。
千歳、スッゲェ!!
と、思いましたからね。
アナウンサーがリクエストインタビューを行おうにも、人に押され、そして押され、どんどん押され、
僕の側に流れ着いたのです。
その時に僕は、やりました。
アナウンサーの肩を、トントンと。
嘘です・・・。
途端に必死になりまして「グイグイ」と。
でも、横に「ガシガシ」が、居たんです。
そりゃーもー大騒ぎ。
アナウンサーは、
「あれー!すっごーい(あくまで笑顔で)!!そんなに『グイグイ』しないでぇ!!」
グイグイ?
お、オレだ・・・。
そうです。
となりのヤツは「ガシガシ」でしたので ← 一人判定!!
そして、き、来ました。マイク!!
「グイグイ、引っ張るんだもーん」
「あは!!」
「僕、お名前は?」
「あ、あ・・・。イ、イレブンです」←そこからかーい!!
「何を、してるの?」
「ほ、本を探してました」←グイグイだろ!?
「リクエスト曲、あっりますかぁ!?」
「『Mamy Blue』です」
「はーい!本日は、千歳市のビートルの2Fから、本を探していたイレブン君の『Mamy Blue』でーす!」
「だはっ!!」
今、「YouTube」で「Mamy Blue」を聴いてみました。
そして、少し後悔してます・・・。
やっぱり、「ポールサイモン」の「母と子の絆」に、しておけばよかった・・・と・・・。
迷ったんです。確かに。一瞬・・・。
「Mamy Blue」・・・。
タイトルが英語だったので、カッコつけたかったんだと思います。
イレブン・・・15歳の秋でした・・・。
その頃、札幌の深夜放送は、
「アタックヤング!」
が、大人気でして、
「ササッパラ」
「もっちゃん」
など、人気のパーソナリティーが、並んでいました。
コメントで知りました。
「日高晤郞」さん、亡くなられたのですね。
はい。
伝説的なパーソナリティ。
僕の、青春の1ページに居た方でしたよ。
「同じ時代」を、歩んだ方でした。
今、気がついたことがあります。
「ポールサイモン」の「母と子の絆」・・・。
「天気予報の恋人」と、似てます・・・。
僕の、洋楽のポップス感覚は、この時期から始まったんでしょうね。
ASKA(2018/4/7 23:03)
「はい!ダイヤルリクエストです!」
なんていう番組がありました。
ラジオ番組です。
思えば、僕が洋楽の魅力を知ったのは、その番組からなんですね。
70年代の洋楽は、メロディの宝庫です。
「AppleTV」というのがありまして、それをテレビに接続すると、
「70's Pops」
「80's Pops」
「90's Pops」
など、ラジオ番組がありまして。
アメリカの放送局の番組を24時間聴けます。
僕は、もっぱら「70's Pops」を聴いています。
お客さんが来られた時も、バックグラウンドで流していますので、
「おー!!この曲!懐かしいなぁ!!」
などと、話が弾みます。
僕が、初めてテレビに映ったのは4歳の時でした。
九電体育館でした。
この話は、何度かしてますが、
地元放送局、RKB主催でした。
その中で、坂本九さんが、確か「ダニー飯田とパラダイスキング」にイジメられるコントがあったのです。
4歳の少年には、それが、ただのコントであることなど分かりません。
本気でイジメられてると思ったのです。
母親の元から離れ、最前列の柵まで走って行き、
「九ちゃんを、イジメるなーー!!!!」
と、やってしまいまして、それがテレビにドアップとなりました。
面白い話ですので、RKB放送の方が、何度となくその記録を探してくださったのですが、
当時は、ビデオテープではなく、フィルムでしたので、膨大に膨れてゆく記録を、
全て始末してしまったのだろうと、話してくれました。
それが、僕のテレビデビューです。
と、ここまで書くと、
「じゃぁ。ラジオは?」
と、なるでしょう?
もちろんです。
中3の時でした。
当時、何にもない千歳に「マルセンデパート」と「ビートル」という、二つのショッパーズが、現れたのです。
その二つが出来ただけで、街に活力が溢れました。
用もないのに、毎日行ってましたね。
その「ビートル」に、
「はい!ダイヤルリクエストです!」
が、来たのです。
生放送中に、聴者から電話リクエストが、バンバン入るんです。
そのリクエスト数により、毎日、楽曲のベスト10が入れ替わります。
その中継が、活気付いた千歳の「ビートル」で行われました。
2Fの本屋さんでした。
もの凄い人・・・。
千歳、スッゲェ!!
と、思いましたからね。
アナウンサーがリクエストインタビューを行おうにも、人に押され、そして押され、どんどん押され、
僕の側に流れ着いたのです。
その時に僕は、やりました。
アナウンサーの肩を、トントンと。
嘘です・・・。
途端に必死になりまして「グイグイ」と。
でも、横に「ガシガシ」が、居たんです。
そりゃーもー大騒ぎ。
アナウンサーは、
「あれー!すっごーい(あくまで笑顔で)!!そんなに『グイグイ』しないでぇ!!」
グイグイ?
お、オレだ・・・。
そうです。
となりのヤツは「ガシガシ」でしたので ← 一人判定!!
そして、き、来ました。マイク!!
「グイグイ、引っ張るんだもーん」
「あは!!」
「僕、お名前は?」
「あ、あ・・・。イ、イレブンです」←そこからかーい!!
「何を、してるの?」
「ほ、本を探してました」←グイグイだろ!?
「リクエスト曲、あっりますかぁ!?」
「『Mamy Blue』です」
「はーい!本日は、千歳市のビートルの2Fから、本を探していたイレブン君の『Mamy Blue』でーす!」
「だはっ!!」
今、「YouTube」で「Mamy Blue」を聴いてみました。
そして、少し後悔してます・・・。
やっぱり、「ポールサイモン」の「母と子の絆」に、しておけばよかった・・・と・・・。
迷ったんです。確かに。一瞬・・・。
「Mamy Blue」・・・。
タイトルが英語だったので、カッコつけたかったんだと思います。
イレブン・・・15歳の秋でした・・・。
その頃、札幌の深夜放送は、
「アタックヤング!」
が、大人気でして、
「ササッパラ」
「もっちゃん」
など、人気のパーソナリティーが、並んでいました。
コメントで知りました。
「日高晤郞」さん、亡くなられたのですね。
はい。
伝説的なパーソナリティ。
僕の、青春の1ページに居た方でしたよ。
「同じ時代」を、歩んだ方でした。
今、気がついたことがあります。
「ポールサイモン」の「母と子の絆」・・・。
「天気予報の恋人」と、似てます・・・。
僕の、洋楽のポップス感覚は、この時期から始まったんでしょうね。
ASKA(2018/4/7 23:03)
COMMENT
「はい!ダイヤルリクエストです!」のコメント
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ニックネーム:ShanaFly Beatzこんな前の記事にコメント失礼します。
ポールサイモンの母と子の絆、聴いてみました!ホントだ!天気予報の恋人に似てますね!のちにこの曲自体、One VoiceでCathy Dennis にカバーされましたしね。
違和感なかったのは、原曲がワールドワイドだったからなのでしょうかね。 -
ニックネーム:ノジーはじめまして、ノジーと申します。よろしくお願いいたします。
少年時代のラジオに関するエピソードを知ることができてうれしいです。
ラジオって、青春とともに心を支えてくれる存在だと思います。
私は、深夜リクエスト番組にハガキでリクエストした「no no darlin'」が流れたとき、
うれしくて飛び上がりました。 -
ニックネーム:きのこ姐アタヤン懐かしい♪
受験時代に、アタックヤング聴いてましたwww
ちなみにあたしのテレビデビューは、雪まつり会場に来ていた河合奈保子さんとクンタくん(北海道のテレビ局のマスコットキャラクター)とじゃんけんをするというコーナーでしたw
河合奈保子さんに憧れて、アイドルを目指しましたが、気がつけばススキノのアイドルでしたwww -
ニックネーム:teru_maiポールサイモンの『母と子の絆』、素敵な曲ですね(*^^*)
ポールサイモンは、映画『卒業』の曲しか知らなかったので、こんな素敵な曲があるとは、まさに目から鱗が落ちる出来事です。
やはり、昔の洋楽は名曲揃いですね。
『母と子の絆』、育児の合間のリフレッシュタイムに是非聴きたいと思います。
ASKAさん、素敵な曲のご紹介、どうもありがとうございます(*^^*) -
ニックネーム:SHIROラジオ番組の公開放送といえば・・・
数年前に、すぐ近くのケーキ屋さんに、毒蝮三太夫さんが来てました。笑) 相変わらずの、毒舌振りだったそうです。笑
あと、小学生の頃、当時住んでいた近所に、大きな店舗がオープンして。その開店イベントに、ラジオ番組の公開放送があり、大沢悠里さんが来ました。ラジオも聴いてなく、彼の名前しか知らなかった私は、公開放送で実物を見るまで、てっきり女性かと思ってましたァ(;´∀`) 悠里って響きから、アイドルみたいな可愛いらしい女性を想像してました。笑