「偶然」と「必然」
夕方、東京に戻って参りました。
実は、二泊三日で京都の「丹後」に行って来たのです。
う〜ん、何て言うんだろう?
丹後に呼ばれた?
僕が丹後にたどり着いた?
僕は、これまで自分の人生で、
「すべてのことはつながっている」
「人は誰もつながっている」
これを確信しながら生きてきました。
それは、僕の中に完全と動かぬことのない「この世の答えのひとつ」です。
しかし、日常に追われる中で、つい忘れがちなことも確かです。
今回の旅は、またそれを思わせるできごととなりました。
昨年、10月24日に「AbemaTV」に出演させていただきました。
「逆指名インタビュー」という番組でした。
その頃、僕はこれからのアーティスト活動において、ミュージックビデオだけに留まらず、これからはネットテレビが、地上波のテレビ番組に台頭して伸びて来るだろうと考えていました。
そんなことをスタッフに語っていた時に、その「AbemaTV(ネットテレビ)」からのオファーをいただきましたので、これも何かのご縁だと思い、出演を受けました。
僕の出演条件は、
「フルサイズで、最低4曲を歌わせてもらうこと」
これだけでした。
「逆指名インタビュー」の番組詳細は、追って知りました。
それは、僕がインタビュアーを決めること。
その相手にインタビューをしてもらうという構成内容でした。
面白いと思いましたね。
「インタビューにおいては、極力編集をしない」
これがコンセプトでした。つまり生番組とほぼ変わらない顔をした番組だということです。
僕にはインタビュアーとして興味のある人が数人いましたが、
その中で、以前より会ってみたかった二人を指名したしました。
一人は、ボクシング界において3階級制覇の偉業を成し遂げた、元チャンピオン
「亀田興毅」君。
もう一人は、ネットで僕をよく取り上げてくれていた、プロインタビュアーの
「吉田豪」氏。
インタビューは、楽しかったですね。
僕は興毅君の試合を、ほぼ全試合観ていましたし、彼とはいつか会うことになると信じてました。
興毅君(以下、興毅)。
僕は、剣道をやっています。相手が打ってくる瞬間のさばき方、距離の取り方、心の読み方など、
ボクシングと非常に似てるのです。
インタビューでは収まり切れなかった話もあり、収録後、プライベートで会うことを約束し、その後、
去年の内に2回会いました。
番組内で興毅と約束をした、僕の苦手な「カラオケ」にも行きましたよ。
興毅ですか?
はい。歌、上手いです。
本人、知らずにミックボイスを使っています。昭和の古い歌を好んで歌うところが興毅らしい(笑)
興毅には、気のおけない友人がいまして(Yさん)、人見知りの興毅が唯一心を開いてる男です。
2回とも3人で会いました。
2回とも、8時間近く一緒に騒ぎましたので、今では3人が心を解放し合っています。
2度目の時に、とてもシリアスな話から一転、食べ物の話になりました。
Yさんが、僕に尋ねてきたのです。
「兄さん(関西人は目上の人をこう呼ぶことが多い)、間人(たいざ)ガニ食べたことあります?」
「いや、聞いたことないなぁ。」
「今度、3人で間人ガニ食べに行きましょう。こっれが、もうどんだけ美味しいか、知ってもらいたいです。」
その日は、12月27日でしたので、
「1月は、もうスケジュール一杯なので、その後だね。」
「じゃぁ、2月の頭にしましょう。2月2,3,4日で行きませんか?」
「分かった。カレンダーに書き込んでおこう。」
デビュー後に、仕事以外で友人と旅行など、1981年に大学の後輩と二人でハワイに行った以来です。
そして一昨日、2日の夕方に「神戸」入り。
僕は、こういう時期ですので、
マネージャー(ギリギリ30代女性、本気スイマーお叱りマネージャー)を連れて行きました。
神戸でお迎えしてくださいましたのはYさんと、友人のMさんでした。
興毅とYさん、Mさん、そして僕とマネージャー。
その夜は「神戸牛」を食べ、「カラオケ」と。
そして、翌朝11時に車で神戸を出発し、京都の「丹後」に向かいました。あくまで「間人ガニ」を食べるために。
そこ「丹後」は、海に面した静かな街でした。
僕らが到着するまでは雨が降っていたのですが、到着と同時に雨は上がりました。
よくあるんです。僕は昔から「晴れ男」ですので、野外イベントなどに「ASKAを呼んでおこう」などと、「晴れ要員」で声をかけられることもあります。
「丹後」までMさんが運転してくれました。
「丹後に着いて、いきなりホテルでは何ですから、由緒ある神社に行きませんか?」
神社は嫌いではありません。むしろ好きな方かな。
心が落ち着くのです。
歴史を感じさせる風格のある神社でした。
まず驚いたのは、家紋が天皇家の家紋であったこと。
そう「菊の御紋」でした。
これを聞いて、心当たりのある方もいるかと思いますが、
僕の母が九州を制圧していた「菊池一族」の末裔でして、「菊地神社」も「菊の御紋」なのです。
後醍醐天皇の時に「朝廷」、つまり「天皇家」となりました。
本当に「目に飛び込んできた」とは、このような時に使いますね。
「籠(この)神社」
別称「籠宮大社(このみたいしゃ)」とも言われています。
この神社「元伊勢」といわれておりまして、実は「伊勢神宮」の元になった神社だったのです。
第四代「懿徳天皇(いとくてんのう)」に始まり、2500年継承されています。
僕は、偶然なのか必然なのか、2月3日に、そこを訪れたのです。
「節分の日」です。還暦を迎える年の人生の変わり目の日の節分に、その場所に来てしまったのです。
この奇遇なできごとに神社の宮司(ぐうじ)さんも驚かれ、巫女さんの鈴の音の中、
もう一度「厄払い」をしていただきました。
そこには、
「さざれ石」
が、ありました・・・。
「君が代は、千代に八千代に『さざれ石』の〜」
の、「さざれ石」です。
「間人ガニ」に寄せられて、訪れたのが「菊の御紋」の
「元伊勢、籠神社」・・・。
厄の年。
そして、急遽行ってもらった「厄払い」・・・。
いつもなら、
「こんなことってあります?」
で、通り過ぎる話ですが、さすがにこのような出来事からは、
「必然」
という言葉しかありません。
僕は事件を起こしてしまいました。
それにより、僕の周りのすべての環境が変わりました。
あの事件がなければ「AbemaTV」への出演はなかったでしょう。
出演により、いつかは会うことになると思っていた「亀田興毅」という青年に出会い、その出会いにより「Yさん」から「丹後」に誘われ、その丹後を訪れた日が、偶然にも「2月3日」。
「天皇家」「菊の御紋」・・・。
人はよく「偶然」か「必然」かを論じますが、どちらでもない。
「偶然と必然」は、人生の中で常に絡み合っている。
これが、僕の出した答えでした。
その夜は「カニづくし」
「どんだけ美味しいんだよ!!」
もう、お腹いっぱい。
そして、地元の有力者となっている若者夫妻を交えて、そのままカラオケに。
その若者が、初めて買ったCDが
「Sons and Daughters」
だったと。
「SAY YES」「YAH YAH YAH」を、喉に血管を浮きだたせながら歌い、
興毅とYさんは「Pride」を熱唱するはで、大変心にのこる旅でした。
僕ですか?
はい。最後に上田正樹さんの「悲しい色やね」を歌いました。
もちろん本気で。この曲25年ぶりぐらいに歌ったな。
歌い終えた直後にメールが来ました。
その場にいたマネージャーからでした。
一言メッセージ。
「調子に乗るのやめてください! いい加減にしてくださいよ!!(激怒)」
ギリギリ30代女性、本気スイマーのマネージャーからの、
「お叱りメール」でした・・・。
人と人はつながってる。
人生は、偶然と必然の絡み合いで進んで行く。
すべてにありがとう。
http://www.e-fanclub.com/aska/
ASKA(2018年2月4日22:06)
実は、二泊三日で京都の「丹後」に行って来たのです。
う〜ん、何て言うんだろう?
丹後に呼ばれた?
僕が丹後にたどり着いた?
僕は、これまで自分の人生で、
「すべてのことはつながっている」
「人は誰もつながっている」
これを確信しながら生きてきました。
それは、僕の中に完全と動かぬことのない「この世の答えのひとつ」です。
しかし、日常に追われる中で、つい忘れがちなことも確かです。
今回の旅は、またそれを思わせるできごととなりました。
昨年、10月24日に「AbemaTV」に出演させていただきました。
「逆指名インタビュー」という番組でした。
その頃、僕はこれからのアーティスト活動において、ミュージックビデオだけに留まらず、これからはネットテレビが、地上波のテレビ番組に台頭して伸びて来るだろうと考えていました。
そんなことをスタッフに語っていた時に、その「AbemaTV(ネットテレビ)」からのオファーをいただきましたので、これも何かのご縁だと思い、出演を受けました。
僕の出演条件は、
「フルサイズで、最低4曲を歌わせてもらうこと」
これだけでした。
「逆指名インタビュー」の番組詳細は、追って知りました。
それは、僕がインタビュアーを決めること。
その相手にインタビューをしてもらうという構成内容でした。
面白いと思いましたね。
「インタビューにおいては、極力編集をしない」
これがコンセプトでした。つまり生番組とほぼ変わらない顔をした番組だということです。
僕にはインタビュアーとして興味のある人が数人いましたが、
その中で、以前より会ってみたかった二人を指名したしました。
一人は、ボクシング界において3階級制覇の偉業を成し遂げた、元チャンピオン
「亀田興毅」君。
もう一人は、ネットで僕をよく取り上げてくれていた、プロインタビュアーの
「吉田豪」氏。
インタビューは、楽しかったですね。
僕は興毅君の試合を、ほぼ全試合観ていましたし、彼とはいつか会うことになると信じてました。
興毅君(以下、興毅)。
僕は、剣道をやっています。相手が打ってくる瞬間のさばき方、距離の取り方、心の読み方など、
ボクシングと非常に似てるのです。
インタビューでは収まり切れなかった話もあり、収録後、プライベートで会うことを約束し、その後、
去年の内に2回会いました。
番組内で興毅と約束をした、僕の苦手な「カラオケ」にも行きましたよ。
興毅ですか?
はい。歌、上手いです。
本人、知らずにミックボイスを使っています。昭和の古い歌を好んで歌うところが興毅らしい(笑)
興毅には、気のおけない友人がいまして(Yさん)、人見知りの興毅が唯一心を開いてる男です。
2回とも3人で会いました。
2回とも、8時間近く一緒に騒ぎましたので、今では3人が心を解放し合っています。
2度目の時に、とてもシリアスな話から一転、食べ物の話になりました。
Yさんが、僕に尋ねてきたのです。
「兄さん(関西人は目上の人をこう呼ぶことが多い)、間人(たいざ)ガニ食べたことあります?」
「いや、聞いたことないなぁ。」
「今度、3人で間人ガニ食べに行きましょう。こっれが、もうどんだけ美味しいか、知ってもらいたいです。」
その日は、12月27日でしたので、
「1月は、もうスケジュール一杯なので、その後だね。」
「じゃぁ、2月の頭にしましょう。2月2,3,4日で行きませんか?」
「分かった。カレンダーに書き込んでおこう。」
デビュー後に、仕事以外で友人と旅行など、1981年に大学の後輩と二人でハワイに行った以来です。
そして一昨日、2日の夕方に「神戸」入り。
僕は、こういう時期ですので、
マネージャー(ギリギリ30代女性、本気スイマーお叱りマネージャー)を連れて行きました。
神戸でお迎えしてくださいましたのはYさんと、友人のMさんでした。
興毅とYさん、Mさん、そして僕とマネージャー。
その夜は「神戸牛」を食べ、「カラオケ」と。
そして、翌朝11時に車で神戸を出発し、京都の「丹後」に向かいました。あくまで「間人ガニ」を食べるために。
そこ「丹後」は、海に面した静かな街でした。
僕らが到着するまでは雨が降っていたのですが、到着と同時に雨は上がりました。
よくあるんです。僕は昔から「晴れ男」ですので、野外イベントなどに「ASKAを呼んでおこう」などと、「晴れ要員」で声をかけられることもあります。
「丹後」までMさんが運転してくれました。
「丹後に着いて、いきなりホテルでは何ですから、由緒ある神社に行きませんか?」
神社は嫌いではありません。むしろ好きな方かな。
心が落ち着くのです。
歴史を感じさせる風格のある神社でした。
まず驚いたのは、家紋が天皇家の家紋であったこと。
そう「菊の御紋」でした。
これを聞いて、心当たりのある方もいるかと思いますが、
僕の母が九州を制圧していた「菊池一族」の末裔でして、「菊地神社」も「菊の御紋」なのです。
後醍醐天皇の時に「朝廷」、つまり「天皇家」となりました。
本当に「目に飛び込んできた」とは、このような時に使いますね。
「籠(この)神社」
別称「籠宮大社(このみたいしゃ)」とも言われています。
この神社「元伊勢」といわれておりまして、実は「伊勢神宮」の元になった神社だったのです。
第四代「懿徳天皇(いとくてんのう)」に始まり、2500年継承されています。
僕は、偶然なのか必然なのか、2月3日に、そこを訪れたのです。
「節分の日」です。還暦を迎える年の人生の変わり目の日の節分に、その場所に来てしまったのです。
この奇遇なできごとに神社の宮司(ぐうじ)さんも驚かれ、巫女さんの鈴の音の中、
もう一度「厄払い」をしていただきました。
そこには、
「さざれ石」
が、ありました・・・。
「君が代は、千代に八千代に『さざれ石』の〜」
の、「さざれ石」です。
「間人ガニ」に寄せられて、訪れたのが「菊の御紋」の
「元伊勢、籠神社」・・・。
厄の年。
そして、急遽行ってもらった「厄払い」・・・。
いつもなら、
「こんなことってあります?」
で、通り過ぎる話ですが、さすがにこのような出来事からは、
「必然」
という言葉しかありません。
僕は事件を起こしてしまいました。
それにより、僕の周りのすべての環境が変わりました。
あの事件がなければ「AbemaTV」への出演はなかったでしょう。
出演により、いつかは会うことになると思っていた「亀田興毅」という青年に出会い、その出会いにより「Yさん」から「丹後」に誘われ、その丹後を訪れた日が、偶然にも「2月3日」。
「天皇家」「菊の御紋」・・・。
人はよく「偶然」か「必然」かを論じますが、どちらでもない。
「偶然と必然」は、人生の中で常に絡み合っている。
これが、僕の出した答えでした。
その夜は「カニづくし」
「どんだけ美味しいんだよ!!」
もう、お腹いっぱい。
そして、地元の有力者となっている若者夫妻を交えて、そのままカラオケに。
その若者が、初めて買ったCDが
「Sons and Daughters」
だったと。
「SAY YES」「YAH YAH YAH」を、喉に血管を浮きだたせながら歌い、
興毅とYさんは「Pride」を熱唱するはで、大変心にのこる旅でした。
僕ですか?
はい。最後に上田正樹さんの「悲しい色やね」を歌いました。
もちろん本気で。この曲25年ぶりぐらいに歌ったな。
歌い終えた直後にメールが来ました。
その場にいたマネージャーからでした。
一言メッセージ。
「調子に乗るのやめてください! いい加減にしてくださいよ!!(激怒)」
ギリギリ30代女性、本気スイマーのマネージャーからの、
「お叱りメール」でした・・・。
人と人はつながってる。
人生は、偶然と必然の絡み合いで進んで行く。
すべてにありがとう。
http://www.e-fanclub.com/aska/
ASKA(2018年2月4日22:06)
COMMENT
「偶然」と「必然」のコメント
-
ニックネーム:vmari実現するスピードが速くなっていますね。会いたい人に会えて、やりたいことができて、行くべき場所へ自然に導かれる・・・私もそうなりたいです☆
-
ニックネーム:みかりお隣の舞鶴在住です。
籠神社にいらしたのですね。
私も籠神社には時々行きます。
事件のあと、ファンではなくなったはずですが、ブログ見てます。籠神社にいらしたと聞いて、嬉しかったです。
ひとり咲きの頃からですから、、、。
ファンかどうかということより、根っこにはASKAさんが流れているんでしょうね。
気ままですから、気の向くままに好きでいます(^^) -
ニックネーム:ゆのっち丹後に行ってたとは‼️‼️😵😵😵
あたしの出身地の近くですー‼️‼️
あたしは、天橋立から車で10分ほどの所にある地域です‼️
ASKAさんが、丹後に来てたなんて‼️
もう、ビックリです‼️‼️
嬉しいです‼️😭😭😭
カニ🦀が美味しくて良かったです✨
また、来て下さいねー❣️☺️☺️☺️ -
ニックネーム:T神戸来られてたんですか!トンネル挟んで隣の市に住んでます!(笑)
僕も去年、丹後に旅行で行きました。1度行ったことがあったのですが、やはりイイですね!とてもリラックスできました。 -
ニックネーム:hanemi73「偶然と必然」は、人生の中で常に絡み合っている。
ここに集っている皆さんも、偶然か必然か、どこかでASKAさんと出会って、そしてここで繋がっているんだと思うと、なんとなく漠然とすごいことだな!って今思います。
これからも、歌で、そしてライブで、みんなを繋げていってください。応援しています!!