第144回「ASKA Terminal Melody」〜リクエスト回
本日は、
「the corner」「水の部屋」「Man and Woman」「だからって」
の4曲がかかりました。
今日は、その中から「水の部屋」を。
これは、1989年12月から始まったロンドン生活、1曲目に作った曲。
誰ひとり友人がいないままの渡英だった。
ロンドン北にある「フィンチュリー」という街。
市内から車で20分かからないくらいのところ。
引っ越しをしたその日に、福岡大野城市の実家すぐ側に住んでいた一級上のお姉ちゃんが突然現れた時には驚いたなぁ。
日本人コミュニティでは、
「誰か日本のミュージシャンが、この家に来るらしいよ」
「ASKAだって!」
など、噂になっていたようで、確信を得たお姉ちゃんがドアをノックしてくれたのでした。
「誰も知り合いがいない」と思っていただけに、心強かった。
向こうでは、一日中ラジオをかけていました。
ずっと音楽が流れてる。
そして歯切れの良い、リズムのあるパーソナリティ。
あの当時は、世界中で音楽が、そう脚光を浴びてたという表現でいいのかもしれない。
火付け役は「マイケル・ジャクソン」だったと思います。
マイケルのMV「スリラー」は、世界の音楽、そしてプロモーション展開のフォーマットになった。
僕が、向こうに行って取り掛かったこと。
それは、自分の音楽というかコード進行を分析するということ。
それまでは、セオリーを知らない僕が、ただただ気持ちがいいと思えるコード進行で曲を書いていただけだったのだけれど、どうやら、音楽を勉強してきた人たちにとっては、自由度満載のコード進行だったらしい。
なので、向こうでは、なぜこのメロディに対して自分はこのコードを使ったのか?
うーん、あとは何をどう説明しようか・・・。
とにかくコンピュータを使って楽器を鳴らすための勉強をしていました。
勉強?
んまぁ、そんな感じです。
当時、僕は完全に洋楽派になってた。
日本の音楽にはあまり興味がなくなってた。
なので、毎日ラジオから流れてくる、僕、日本人にとっての洋楽は、まさに音楽三昧でした。
そして、ある日、心境の変化が起こった。
自分が日本人であるということのアイデンティティというか大切さを向こうで感じるわけです。
それまで日本にいた時、「洋楽っぽく」を意識して作曲していた自分が、ロンドンではそうではない心境になった。
日本のメディアでは、
「ASKA 音楽留学!」
「ASKA 拠点をロンドンに移す!」
など、書かれまくりでしたからね。
もちろん、「ひとり咲き」「万里の河」のイメージを払拭するためだけの渡英だったので、ある意味成功といえば成功。
いや、大成功でしたね。
それまでシングルヒットが出せなかったのに、向こうに住んだというだけで、その後、シングルがトップ10入りするようになった。
そして、向こうで感じた「自分は日本人」
これを、大切にしたいと思った。
日本人であることを強調したメロディを作るということではなく、イギリスに住んだからこその和洋を併せ持ったメロディを書きたいと思った。
「水の部屋」においては、過去、自分が費やした1曲の作業時間(編曲)では、音楽生活一ですね。
そのくらい、徹底的に作り込んだ。
自分のコード分析を兼ねていましたから。
でも、あれだよ。
日本語から見える、映す景色。
「ああ桜散る」
と、言葉を乗せた瞬間に日本人なら誰でも景色が浮かぶ。
それだけで十分過ぎるほど日本人の楽曲になった。
言葉は強い。
それと、僕は、子供の頃、もっと言ってしまえば幼児の頃からの記憶が鮮明ですからね。
実際、小学校入学式の頃の校庭の桜を覚えてる。
隣の席の女の子が誰だったかも。
学級委員を決める時、その子が僕に手を挙げてくれたことも。
あの曲「水の部屋」の「水」とは、母親の「羊水」のことです。
生まれてくる時のことを覚えている僕には「羊水」は、興味深いものだった。
その上、生まれてくる前のことも覚えているわけですからね。
僕が、輪廻を強く信じているのは、記憶(らしきもの)があるからです。
僕の周りは、僕の輪廻の話を否定する人は、もう居なくなったなぁ。
歌詞では、あの頃からだなぁ。
比喩に必要な「ような」「みたいな」を、言葉数を無視して自然に省くようになったのは。
「ああ折り紙の優しさで」
普通は
「ああ折り紙のような優しさで」
が、日本語。
でも、歌詞でしょう?
「ような」を使わずとも受け止めてくれると思った。
「水の部屋」って、もう毎回毎回、ライブでは候補曲に上がる。
いつもリハーサルでは歌ってる。
しかし、最後のセットリストでは、外してしまうんです。
では、次のライブで。
とは、約束ができない楽曲なのです。
こんなに長い間、愛され、支持していただく楽曲になろうとは思ってもいませんでした。
ASKA(2023/11/5 21:24)
「the corner」「水の部屋」「Man and Woman」「だからって」
の4曲がかかりました。
今日は、その中から「水の部屋」を。
これは、1989年12月から始まったロンドン生活、1曲目に作った曲。
誰ひとり友人がいないままの渡英だった。
ロンドン北にある「フィンチュリー」という街。
市内から車で20分かからないくらいのところ。
引っ越しをしたその日に、福岡大野城市の実家すぐ側に住んでいた一級上のお姉ちゃんが突然現れた時には驚いたなぁ。
日本人コミュニティでは、
「誰か日本のミュージシャンが、この家に来るらしいよ」
「ASKAだって!」
など、噂になっていたようで、確信を得たお姉ちゃんがドアをノックしてくれたのでした。
「誰も知り合いがいない」と思っていただけに、心強かった。
向こうでは、一日中ラジオをかけていました。
ずっと音楽が流れてる。
そして歯切れの良い、リズムのあるパーソナリティ。
あの当時は、世界中で音楽が、そう脚光を浴びてたという表現でいいのかもしれない。
火付け役は「マイケル・ジャクソン」だったと思います。
マイケルのMV「スリラー」は、世界の音楽、そしてプロモーション展開のフォーマットになった。
僕が、向こうに行って取り掛かったこと。
それは、自分の音楽というかコード進行を分析するということ。
それまでは、セオリーを知らない僕が、ただただ気持ちがいいと思えるコード進行で曲を書いていただけだったのだけれど、どうやら、音楽を勉強してきた人たちにとっては、自由度満載のコード進行だったらしい。
なので、向こうでは、なぜこのメロディに対して自分はこのコードを使ったのか?
うーん、あとは何をどう説明しようか・・・。
とにかくコンピュータを使って楽器を鳴らすための勉強をしていました。
勉強?
んまぁ、そんな感じです。
当時、僕は完全に洋楽派になってた。
日本の音楽にはあまり興味がなくなってた。
なので、毎日ラジオから流れてくる、僕、日本人にとっての洋楽は、まさに音楽三昧でした。
そして、ある日、心境の変化が起こった。
自分が日本人であるということのアイデンティティというか大切さを向こうで感じるわけです。
それまで日本にいた時、「洋楽っぽく」を意識して作曲していた自分が、ロンドンではそうではない心境になった。
日本のメディアでは、
「ASKA 音楽留学!」
「ASKA 拠点をロンドンに移す!」
など、書かれまくりでしたからね。
もちろん、「ひとり咲き」「万里の河」のイメージを払拭するためだけの渡英だったので、ある意味成功といえば成功。
いや、大成功でしたね。
それまでシングルヒットが出せなかったのに、向こうに住んだというだけで、その後、シングルがトップ10入りするようになった。
そして、向こうで感じた「自分は日本人」
これを、大切にしたいと思った。
日本人であることを強調したメロディを作るということではなく、イギリスに住んだからこその和洋を併せ持ったメロディを書きたいと思った。
「水の部屋」においては、過去、自分が費やした1曲の作業時間(編曲)では、音楽生活一ですね。
そのくらい、徹底的に作り込んだ。
自分のコード分析を兼ねていましたから。
でも、あれだよ。
日本語から見える、映す景色。
「ああ桜散る」
と、言葉を乗せた瞬間に日本人なら誰でも景色が浮かぶ。
それだけで十分過ぎるほど日本人の楽曲になった。
言葉は強い。
それと、僕は、子供の頃、もっと言ってしまえば幼児の頃からの記憶が鮮明ですからね。
実際、小学校入学式の頃の校庭の桜を覚えてる。
隣の席の女の子が誰だったかも。
学級委員を決める時、その子が僕に手を挙げてくれたことも。
あの曲「水の部屋」の「水」とは、母親の「羊水」のことです。
生まれてくる時のことを覚えている僕には「羊水」は、興味深いものだった。
その上、生まれてくる前のことも覚えているわけですからね。
僕が、輪廻を強く信じているのは、記憶(らしきもの)があるからです。
僕の周りは、僕の輪廻の話を否定する人は、もう居なくなったなぁ。
歌詞では、あの頃からだなぁ。
比喩に必要な「ような」「みたいな」を、言葉数を無視して自然に省くようになったのは。
「ああ折り紙の優しさで」
普通は
「ああ折り紙のような優しさで」
が、日本語。
でも、歌詞でしょう?
「ような」を使わずとも受け止めてくれると思った。
「水の部屋」って、もう毎回毎回、ライブでは候補曲に上がる。
いつもリハーサルでは歌ってる。
しかし、最後のセットリストでは、外してしまうんです。
では、次のライブで。
とは、約束ができない楽曲なのです。
こんなに長い間、愛され、支持していただく楽曲になろうとは思ってもいませんでした。
ASKA(2023/11/5 21:24)
COMMENT
第144回「ASKA Terminal Melody」〜リクエスト回のコメント
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ニックネーム:育子水の部屋、ずっと大好きな曲で今日のお昼休みにも聴いていました♬
ライブで聴ける日を楽しみにしています❤️ -
ニックネーム:SachikoASKAさん
今年ファンになったばかりの私にとって、ASKAさんの過去のお話はとても興味深く、それをご本人のブログで読めるなんて、本当に嬉しいです。
『インタビュー』の前半の子供時代の思い出を綴ったエッセイも大好きです。
ありがとうございました。 -
ニックネーム:R E素晴らしいブログでした。
次のライブではぜひとも「水の部屋」歌ってください! -
ニックネーム:アンテナちゃん♪(C)リクエスト回楽しい⤴️
ASKAさん、歌詞が深すぎる‼️天才✨️
水の部屋の歌い出だしの「扉を開けたら~、雨の中の自転車~🎵」の「雨」の「あ」‼️このちょっと鼻にかけた「あ」がすんごい好きです😆💕 -
ニックネーム:けれど空は青💓水の部屋。それが母親の胎内にある羊水のことだと知ったのは「飛鳥涼論 けれど空は青」を読んだ子供の頃でした。「人間にとって忘れられない記憶というのは点で結ばれているんじゃないかと思っているんだけど、僕にとっても忘れられない記憶というのがいくつかあって、それらを拾い集めて書いたら、この作品になった。一言で言うと『水の部屋』というのは羊水のことなんだ。母親の胎内にある羊水に保護されながら胎児、つまりひとりの人間が育っていくわけだけど、その羊水にくる前に、もうひとつ別な場所があって、そこで君と僕、あるいはあなたと彼、いずれ知り合いになれる人たちすべてが生活していたんだと。その中から妊娠ということによって、ひとりずつ魂で、新たな役目をもらって送り出される。その送り出されたところというのが、お母さんの子宮、つまりお腹の中ということなんだけどね。で、そこから今度は、今僕らが生きているこの世の中に出てきたんだと。それで、たとえ命は果てても、また別の場所で会おうね、また会えるよね、って人はすでに約束していたんだと。ある種の輪廻かな」。ASKAさんの忘れられない記憶が紡いだ言葉とメロディは私達の宝物です。