第125回「 ASKA Terminal Melody」〜ゲスト「亀田興毅」君
興毅との付き合いは、2017年10月30 日に「ABEMA TV」で放送になった「逆指名インタビュー」からだから、知り合って5年半になるのか。
面白い番組だった。
僕がインタビューをして欲しい人を指名するという形の「逆指名インタビュー」
あの日、僕が指名したのは
ボクシング元世界チャンピオン「亀田興毅」
プロインタビュアー「吉田豪」の二人だった。
あの後、すぐに興毅がウチに遊びに来てくれてね。
それからの付き合いです。
年の差は僕の息子くらい。
そんな興毅から教えらることは本当に多い。
純粋、素直、利他の精神、ブレない目標、人生設計
興毅との出会いは、僕の分岐点になった。
43年間離れていた剣道界に戻って来れたキッカケも興毅。
自分が剣道を再開することになるなんてこと、考えてなかったからね。
ボクサー「亀田興毅」としての引退試合を行なっていなかった興毅に引退試合を勧めた。
もちろん、決めるのは興毅だからそれをお願いするようなことはしていない。
僕が剣道を辞めてしまったことは、ある意味初めて味わった挫折だった。
音楽活動をしながらも、毎年11月3日、剣道日本一を決める「全日本選手権」に足を運んだり、テレビ中継を観たりしてた。
キッパリ線を引けてなかったんだと思う。
興毅との夜、43年ぶりに剣道界に復帰して「四段受験」することを決めた。
その僕の決断に誘発されるように興毅も「引退試合」を決めた。
その時だよね。
「どんな大会でもいい。一度は日本一になっておきたい」って、なんて事言ったのは。
興毅は、ああでしょう?
人間関係が幅広い。
誰に対しても礼儀を欠かさない。
「自分が今いられるのはボクシングのお陰。ボクシングに感謝したい。もっともっとボクシングに興味を持って欲しいし、ボクサーがボクシングで食べられるようにしてあげたい」
ブレないです。
着実に前に進んでる。
間に進むと必ず何かが現れる、
良いことも悪いことも。
でも、それって前に進んでることの証明なんです。
何もしないで良いことが現れるわけがない。
悪いことは現れる。
同じ現れるなら良いことが現れる前の方に進みたい。
興毅はね、クレバーなんです。
本当に賢い。
そうそう、こんなことがあった。
興毅が引退試合をするとき、「国家斉唱」の流れになった。
それは僕からだったのか興毅からだったのかは覚えてない。
本当に流れね。
もちろん、やらせてもらうよ。
僕が勧めた引退試合なんだから。
でもだ、試合が近づいてもその話はなかったんだよな。
「すんませーん、なくってしまいましたわ」
笑いながらで済む話。
んん?
と、思うじゃん。
ああ、これはきっと板挟みになってるなと、先にメールをしました。
「興毅、オレは興毅の引退試合を観たいんだよ。国歌斉唱することは大人の事情もあるだろう。
何も気にしなくていいから、試合に集中するように」
と。
ほら、僕はその頃、まだ世間に出ることが、ある意味許されない立場だったから。
当日、国歌斉唱を歌ったのは「T-BOLAN」の森友君だった。
一時、歌を歌えなくなっていた森友君は、見事に「国歌斉唱」を役割った。
これは僕の代わりということではないです。
興毅との話は、僕たち2人の勝手な話だから。
コンプライアンスでは、初めから成立しない出来事。
興毅は森友君とも親しかったし、当然そうなるよね。
その後1年くらい経ってからだったかな。
その日のことを、第三者から聞かされた。
「一度はASKAさんに頼んだ身として、ASKAさんに申し訳が立たない」
と、大騒ぎ?大暴れしたらしい(笑)
十分、十分(笑)
元々、森友君との付き合いの方が長いんだから。
いろんな人たちが集まって、引退試合を成功させるために森友君に白羽の矢を立てたわけだし、何より、歌が歌えなくなっていたと聞いていた森友君が、見事復活の「国家斉唱」をした。
その光景に立ち合わせていただいた。
感動だったよ。
昨年末「3150ファイトクラブ」が、東京進出することを聞いた。
そこでの「ハーフタイムショー」をお願いされた。
さて、ツアー中だ(その時は、まだDAVID FOSTERとの共演話は決定していなかった)
「ツアーでのライブ本番当日に被らなけらば、もちろんやらせてもらうよ」
「ライブのない日に合わせます!」
ま、それはジョーク。
もう、試合日は決まっていたからね。
ただ一つ、それでも安請け合いをしなかったのは、あのようなボクシング会場での「ハーフタイムショー」というものの役割を知っていたから。
世界タイトル戦。
場違いのようなエンターティメントにしてはならないということ。
「興毅、オレはな。興毅のやることには全面協力だよ。でもな、エンターティメントはお金がかかるよ。オレもプロとしてそこは引けないから。ステージセット、バンドメンバーのギャラ。スタッフ等かなりの金額になると思うんだ。オレはギャラは要らない」
「いえいえ、ギャラは受け取ってください」
「要らない。その代わりスポンサーに意を伝えてくれ」
と。
その後、Twitterで、ABAMAの藤田代表に、
「エンターティメントはお金がかかります。
藤田さん、スポンサーしてくれ。後は、任せてください」
てなことを書いた。
当日、パフォーマンス後、藤田さんに
「Twitterでは失礼いたしました」
「いえいえ、盛り上がりましたねぇ😀!!」
と。
藤田さんには、たくさんお金を使わせてしまった。
ツアーとは違い、1本だけのライブにはお金がかかるんです。
時間や曲数じゃないんだ。
新しいセットを組み上げるわけだから。
そんな出来事をひとつひとつクリアして、東京での「3150ファイトクラブ」が成功した。
亀田興毅君、ゲスト出演ありがとうございました。
ASKA(2023/6/19 9:46)
P.S.
頭蓋骨は人並みです。
面白い番組だった。
僕がインタビューをして欲しい人を指名するという形の「逆指名インタビュー」
あの日、僕が指名したのは
ボクシング元世界チャンピオン「亀田興毅」
プロインタビュアー「吉田豪」の二人だった。
あの後、すぐに興毅がウチに遊びに来てくれてね。
それからの付き合いです。
年の差は僕の息子くらい。
そんな興毅から教えらることは本当に多い。
純粋、素直、利他の精神、ブレない目標、人生設計
興毅との出会いは、僕の分岐点になった。
43年間離れていた剣道界に戻って来れたキッカケも興毅。
自分が剣道を再開することになるなんてこと、考えてなかったからね。
ボクサー「亀田興毅」としての引退試合を行なっていなかった興毅に引退試合を勧めた。
もちろん、決めるのは興毅だからそれをお願いするようなことはしていない。
僕が剣道を辞めてしまったことは、ある意味初めて味わった挫折だった。
音楽活動をしながらも、毎年11月3日、剣道日本一を決める「全日本選手権」に足を運んだり、テレビ中継を観たりしてた。
キッパリ線を引けてなかったんだと思う。
興毅との夜、43年ぶりに剣道界に復帰して「四段受験」することを決めた。
その僕の決断に誘発されるように興毅も「引退試合」を決めた。
その時だよね。
「どんな大会でもいい。一度は日本一になっておきたい」って、なんて事言ったのは。
興毅は、ああでしょう?
人間関係が幅広い。
誰に対しても礼儀を欠かさない。
「自分が今いられるのはボクシングのお陰。ボクシングに感謝したい。もっともっとボクシングに興味を持って欲しいし、ボクサーがボクシングで食べられるようにしてあげたい」
ブレないです。
着実に前に進んでる。
間に進むと必ず何かが現れる、
良いことも悪いことも。
でも、それって前に進んでることの証明なんです。
何もしないで良いことが現れるわけがない。
悪いことは現れる。
同じ現れるなら良いことが現れる前の方に進みたい。
興毅はね、クレバーなんです。
本当に賢い。
そうそう、こんなことがあった。
興毅が引退試合をするとき、「国家斉唱」の流れになった。
それは僕からだったのか興毅からだったのかは覚えてない。
本当に流れね。
もちろん、やらせてもらうよ。
僕が勧めた引退試合なんだから。
でもだ、試合が近づいてもその話はなかったんだよな。
「すんませーん、なくってしまいましたわ」
笑いながらで済む話。
んん?
と、思うじゃん。
ああ、これはきっと板挟みになってるなと、先にメールをしました。
「興毅、オレは興毅の引退試合を観たいんだよ。国歌斉唱することは大人の事情もあるだろう。
何も気にしなくていいから、試合に集中するように」
と。
ほら、僕はその頃、まだ世間に出ることが、ある意味許されない立場だったから。
当日、国歌斉唱を歌ったのは「T-BOLAN」の森友君だった。
一時、歌を歌えなくなっていた森友君は、見事に「国歌斉唱」を役割った。
これは僕の代わりということではないです。
興毅との話は、僕たち2人の勝手な話だから。
コンプライアンスでは、初めから成立しない出来事。
興毅は森友君とも親しかったし、当然そうなるよね。
その後1年くらい経ってからだったかな。
その日のことを、第三者から聞かされた。
「一度はASKAさんに頼んだ身として、ASKAさんに申し訳が立たない」
と、大騒ぎ?大暴れしたらしい(笑)
十分、十分(笑)
元々、森友君との付き合いの方が長いんだから。
いろんな人たちが集まって、引退試合を成功させるために森友君に白羽の矢を立てたわけだし、何より、歌が歌えなくなっていたと聞いていた森友君が、見事復活の「国家斉唱」をした。
その光景に立ち合わせていただいた。
感動だったよ。
昨年末「3150ファイトクラブ」が、東京進出することを聞いた。
そこでの「ハーフタイムショー」をお願いされた。
さて、ツアー中だ(その時は、まだDAVID FOSTERとの共演話は決定していなかった)
「ツアーでのライブ本番当日に被らなけらば、もちろんやらせてもらうよ」
「ライブのない日に合わせます!」
ま、それはジョーク。
もう、試合日は決まっていたからね。
ただ一つ、それでも安請け合いをしなかったのは、あのようなボクシング会場での「ハーフタイムショー」というものの役割を知っていたから。
世界タイトル戦。
場違いのようなエンターティメントにしてはならないということ。
「興毅、オレはな。興毅のやることには全面協力だよ。でもな、エンターティメントはお金がかかるよ。オレもプロとしてそこは引けないから。ステージセット、バンドメンバーのギャラ。スタッフ等かなりの金額になると思うんだ。オレはギャラは要らない」
「いえいえ、ギャラは受け取ってください」
「要らない。その代わりスポンサーに意を伝えてくれ」
と。
その後、Twitterで、ABAMAの藤田代表に、
「エンターティメントはお金がかかります。
藤田さん、スポンサーしてくれ。後は、任せてください」
てなことを書いた。
当日、パフォーマンス後、藤田さんに
「Twitterでは失礼いたしました」
「いえいえ、盛り上がりましたねぇ😀!!」
と。
藤田さんには、たくさんお金を使わせてしまった。
ツアーとは違い、1本だけのライブにはお金がかかるんです。
時間や曲数じゃないんだ。
新しいセットを組み上げるわけだから。
そんな出来事をひとつひとつクリアして、東京での「3150ファイトクラブ」が成功した。
亀田興毅君、ゲスト出演ありがとうございました。
ASKA(2023/6/19 9:46)
P.S.
頭蓋骨は人並みです。
COMMENT
第125回「 ASKA Terminal Melody」〜ゲスト「亀田興毅」君のコメント
-
ニックネーム:みどりくうさこ森友さんです。失礼しました🙇
-
ニックネーム:みどりくうさこASKAさんは本当に佳いご縁をお持ちですね。素敵な人達との繋がりを大切にしていらっしゃる。
📻興毅さんとのお話しありがとうございました。
森本嵐士さん、東本願寺🛕慶讃法要記念コンサートで歌われていましたね。🎶月ノ夜ニ うっとりする素敵なステージでした。 -
ニックネーム:ccannラジオでもブログでもASKAさんと亀田さんの絆の深さが伝わります。
怖いイメージがあったけど、ASKAさんを通して誤解なんだなと分かりました。
亀田興毅さん、素敵なお話しありがとうございました。 -
ニックネーム:しがのみね頭蓋骨は国宝級でしょうね😊
亀田興毅さんとの素晴らしい出会いに乾杯🍻
色んなおふたりのトーク楽しみにしてます☺️ -
ニックネーム:mikairioASKAさん、こんばんは😊お疲れ様です!
興毅さんとの出会い、出来事を聞いて本当にいいお話だなぁ🥹と思いました🥹
興毅さん、とても素敵な方ですね☺️
ボクシング始めた頃、嫌になってお父様に辞めたい意志を告げたそうですが、続けていて良かったと今は思っていらっしゃるのでしょうね☺️逆指名インタビュー観ましたが、興毅❗️と、呼ばれた興毅さん、さぞ驚かれたことでしょうね🤭
T-BOLANの森友さん、歌が歌えなくなっていたのですか?💦全然知りませんでした😥
国歌斉唱を歌われて、見事復活されたのですね✨️感動ですね🥹
興毅さんとは、カラオケにも行く仲✨️
いいですねぇ🥰私も参加したいです笑
無理でしょうけど..笑
た〜んと書いてくださいましたね🤭
でもまだまだ書き足りないんだろうなとは思います😊
また、興毅さんとのお話、聞かせてくださいね💕︎
素敵なお話しありがとうございました🥰