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第97回「ASKA Terminal Melody」~ゲスト(1)武部聡志さん

まずは、お礼を。

「Twitter上での公開ブッキング、引き受けてくださいましてありがとうございました」

そう、武部さんのご実家の隣りの女性が「PONY CANYON」に就職し、その後「C&A」のディレクターとなりました。
この繋がりもすごいでしょう?

でも、実は、もうひとつ。
武部さんとの出会いには、その前があるんです。

僕の卒業した大学の音楽部の後輩が「C&A」を追いかけて東京に出て来た。
しばらく「YAMAHA」で仕事をした後、その後輩とは連絡が途絶えました。

そして、再会。

「オマエ、今、何やってるんだ?」
「武部聡志のマネージャーをやっています」

「マネージャー」というより、武部さんの仕事の「ブッキング管理」かなぁ・・・。
まだ、マネージャーが務まるほどではありませんでしたから、武部さんに携わっていたという立ち位置だったのでしょう。

ですので、最初の出会いは、そいつですね。
後輩に紹介されての「出会い」

ユーミン のライブ?

何度も行ってますよ。
武部さんの仕事っぷりを拝見したのも「ユーミン」のライブでした。

本当なら「ユーミンさん」と言わなくてはならないのでしょうが、最初にユーミンにお会いした時には、すでに周りがあまりにも近すぎて、会話ではいつも「ユーミン」でしたから「ユーミン」さんとは言えず、初対面の時に、

A「すみません、ユーミンと呼ばせてください。僕の『ユーミン』は『ユーミンさん』なんです」
Y「うん、話、聞いてるよ。『ユーミン』でいいよ」

あの頃、音楽業界を牽引していたのは、間違いなく「ユーミン」でした。
「ユーミン」の一言が音楽業界の流れを作っていた。
いつか、自分もそのような存在になりたいと、ずっと思っていました。

「ユーミン」のご主人「松任谷正隆」さんが、僕を?僕の音楽を?とても買ってくれていまして、
テレビがアナログから地デジに変わる時、「ユーミン」が、それを記念したライブを行った。
そのライブには、多くのミュージシャン、そして俳優、女優さんが呼ばれ、そう、アメリカでよく行われてる「VIP」がお客さんという、それをも含めたショー形式で行われました。

僕は、そのショーで「ユーミン」とデュエット。
「トリ」を務めさせていただいたんですね。

そのような光栄。
そこにも、本日ゲスト出演してくださいました「武部」さんが絡んでいたと思っています。
もちろん、あのショーのプロデューサーは「松任谷正隆」さん。

ある日、突然お電話いただいたんです。
松任谷さんからはショーの詳細の説明。

そして

「ショーの最後は、ユーミンとASKAのデュエットで『春よ来い』を考えてる」

と。

「プロデューサー松任谷正隆の影に、バンマス武部聡志あり」

そう、感じていました。

ちょっと、話を戻そうかな。
そんな感じで、武部さんとは非常に距離が近かった。

今日のラジオを聴いて、なるほど!
と、思ったこと。

実は、武部さんに「HELLO」の編曲をお願いするにあたり、お互い初めての仕事というのもあり、「デモ」を徹底的に作り込んで行ったんです。

編曲の方向性がずれないようにね。
完成度、高かったと思います。

それを聴かせた後の武部さんの一言。

「まだまだ!」

これを「まだまだ」と言ってしまう武部さん。
「HELLO」が出来上がっていく過程で、

「なるほど。確かに、まだまだだった・・・」

イントロの「SE」も「キメ」も「ストリングス」も、お見事でした。

でなところで、続きは来週書かせてもらいます。


ASKA(2022/12/11 25:11)