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第85回「ASKA Terminal Melody」〜ゲスト「服部隆之」さん【追記】

大御所感、バリバリだったなぁ。
「服部隆之」さん、以下「タカちゃん」

僕は、タカちゃんのお父さん「克久」さんに本当に可愛がってもらった。
レコード会社が一緒だったんです。

「ワーナーパイオニア」

お父様「克久」さんとC&Aの宣伝担当が同じ人だった。
僕ら、デビューしたばかりだったでしょう?
途中から気がついたのですが、みんな「服部先生」と呼んでた。
僕は出会いが「服部さん」だったし、気がついたからと言って今更「先生」と呼べず、
ずっと、服部さんがお亡くなりになるまで「服部さん」と呼んでいた。

世間知らずの新人アーティストに見えていたでしょうね。
でも、克久さんも「服部さん」と呼ばれることが新鮮だったんじゃないかなぁ。
近くにいても、すれ違っても、僕が気がつかないでいる時も必ず声をかけてくださいました。

この話は、服部さんがお亡くなりになった時、ブログに書いています。

https://www.fellows.tokyo/blog/?id=2125

ある時、服部さんから

「ASKA、僕の息子を使ってくれないか?息子は、クラシック畑だけに留まらせたくないんだよ。ポップスの世界でも仕事をさせたいんだ」

この言葉、素敵じゃないですか?
音楽業界で幅広く息子を仕事をさせたいという親心満載。

すぐに「CODE NAME 1 BROTHER SUN」

で、タカちゃんに声をかけました。

アルバム「CODE NAME」制作時、まだアルバムのタイトルが決まっていない時、
当時、アルバム収録予定曲のほとんどが何らかのタイアップ曲だった。

「これでは新曲がなさすぎる」

との判断で、「1」「2」と、連続もののアルバムにし、新旧を振り分けることになった。
そこで、ここでも以前から語って来た映画「Brother Sun Sister Moon」を使い2枚に分けることにしました。

「CODE NAME 1」は「BROTHER SUN」
「CODE NAME 2」は「SISTER MOON」

そのためには2枚で「Brother Sun Sister Moon」の必要がある。
そして、1枚目で「Brother Sun Sister Moon」を振っておく必要がある。

そこで書いた曲が「君の好きだった歌」でした。
僕の構想では、まずはミュージカルチックに「君の好きだった歌」の前半となる部分を「CODE NAME 1」の1曲目にし、「CODE NAME 2」の最後の曲で「君の好きだった歌」を完結させるという作戦をとりました。

その作戦を成功させるためにタカちゃんにお願いした。
「クラシック畑に留まらせたくない」と、仰った服部さんの言葉を受け、タカちゃんには1枚目のミュージカルチックな「君の好きだった歌」の編曲を避けた。

作戦でした。

1枚目のミュージカルチックは「十川知司」
2枚目のポップスな編曲をタカちゃんにお願いすることになりました。

これ、タカちゃんは相当苦労したと思うんです。
何故ならば、僕が8ビートでお願いしたから。

あのメロディを8ビートにしたら、普通の曲になってしまったんです。
それでもタカちゃん、なんとかしっかり形にしてきました。
でも、違う。
8ビートでは、メロディに無理が出てしまった。
メロディが間延びしてしまったんです。

絶対に良い作品にしなくてはならない使命感があった。
あの時、2番のメロディを全く違うメロディにするという発想がなかったんです。
結局「服部隆之」「ASKA」初コラボ作品は、お蔵入りとなってしまいました。

タカちゃん、
C&Aでは、CHAGEの作品「紫陽花と向日葵」がC&A作品デビューとなりました。

番組で、

「ASKAさんは音楽に真面目で真っ直ぐ」

と、語ってくれたのは、その「お蔵入り」となったテイクを発表しなかった僕の決断が「ストイック」に見えたのでしょう。

違うんです。

「服部家サラブレッドのタカちゃんとの作品が目立たない楽曲になってしまっては良くない」

この想いからの「お蔵入り」でした。
あれは、一重に「8ビート」を要求した僕のミスです。
しかし、「紫陽花と向日葵」では、さすがの実力を発揮してくれた。
お見事でした。

「本当にサラブレッドだ」

そう思いました。
それを見せられた僕は「LIVE UFO」での映画で始まり、映画で終わるステージ構成の音楽に、タカちゃんを指名しました。

ただ、あれはライブを盛り上げるために描いたショートフィルムでしょう?
それをタカちゃんが引き受けてくれるか?が、僕の心配でした。
しかし、そんな心配をよそに、すぐに引き受けてくれた。

あの「LIVE UFO」は、フジテレビを上げてのイベントのひとつだった。
「シルク・ドゥ・ソレイユ」などもその一環でした。

「UFO」という言葉に反応した僕は、そのオープニング、エンディングフィルムでのストリーを「UFOに拐われたC&Aが、宇宙船からステージに降りてくる」というシナリオにした。

ライブタイトルは「夢の番人」でした。

バブル時代です。

「ステージ制作費は、いくらかけても良い」

でした。

「これは映画。本気でサウンドトラックをお願いします」

スタジオで、その音を聴いた時、すぐにこう伝えた

「サウンドトラック盤をリリースしよう」

売れましたねぇ。
サウンドトラック盤セールス枚数の常識を変えた。

タカちゃんも、

「初めてのオリジナルサウンドトラックでした。大事にしています」

と、答えてくれました。

僕もそうです。
大事な一枚です。

ラジオをとおして、あの時のお互いの心理を伝え合うことができました。
ぜひ、今後の作品の編曲もお願いいたします。

と、言っても、もうタカちゃんはどこに行っても「先生」だからなぁ(笑)
でも、お願いします。

「服部隆之」さん、
2週に渡っての出演、ありがとうございました。


ASKA(2022/9/19 2:47)

P.S.

因みに、あの時の「夢の番人」は何ヶ所、何公演だったか調べてみました。
すごいことやったんだねぇ。

SPECIAL EVENT 1993 GUYS 〜夢の番人〜

3月30日 大阪城ホール
3月31日 大阪城ホール
4月2日 大阪城ホール
4月3日 大阪城ホール
4月5日 大阪城ホール
4月6日 大阪城ホール
4月14日 名古屋市総合体育館 レインボーホール
4月15日 名古屋市総合体育館 レインボーホール
4月17日 名古屋市総合体育館 レインボーホール
4月18日 名古屋市総合体育館 レインボーホール
4月20日 名古屋市総合体育館 レインボーホール
4月25日 国立代々木競技場第一体育館
4月26日 国立代々木競技場第一体育館
4月28日 国立代々木競技場第一体育館
4月29日 国立代々木競技場第一体育館
5月1日 国立代々木競技場第一体育館
5月2日 国立代々木競技場第一体育館
5月4日 国立代々木競技場第一体育館
5月5日 国立代々木競技場第一体育館

代々木体育館8日間やってるよ(笑)

追記:

コメント

「CODENAME 制作の話と、サントラ制作の話、時代背景が逆転してませんか?」

本当ですね。
Wikiで調べると

1995年6月28日Code Name.1 Brother Sun
1996年4月22日CODE NAME.2 SISTER MOON

と、なっています。
「LIVE UFO」は、1993年になってる。
タカちゃんと初めて会ったのは「CODE NAME 1」の時だと記憶しているのですが、
時系列が合いませんね。

今日は、朝が早く今から仮眠しますので、
帰ってきてから、もう一度記憶と照らし合わせてみますね。

とりあえず、書き直す時間がありませんので、帰ってくるまでこのままでいさせてください。



COMMENT

第85回「ASKA Terminal Melody」〜ゲスト「服部隆之」さん【追記】のコメント

  • ニックネーム:こよみのわか
    ライブ福岡ばかりだったので初めて東京の代々木体育館で観て感動❣️でもそのライブがチャゲアス最後だった。
  • ニックネーム:おはぎ
    私の人生初のライブがCHAGE&ASKAでした。札幌で参加しました。恋が散った時に参加したライブでした。懐かしいです。
  • ニックネーム:MAKOTO
    GUYS〜夢の番人〜も、史上最大の作戦も、本当に本当に最高のライブでした。ステージ上の皆さんが楽しんでいる空気が客席にも伝わってきましたよ。オープニングとエンディングのムービーも素敵で、涙した記憶があります。サントラCDも購入!高校卒業の時だったので、謝恩会で思い出写真スライド上映のBGMに使わせていただきました。
  • ニックネーム:smile S 。。
    チャゲアスのライブは、高校生の時に一度行ったきりです。1993年には大きなホールで連日ライブをされてたとはすごいですね😊
    今年はこれまでにないほどライブに参加できた幸せな年です。来年はうちの息子が受験生なので、今年のようにたくさん参加するのは難しくなりそう…😥でもできる範囲で楽しみたいと思います。。
  • ニックネーム:のりべ^^
    楽しい ライヴでしたよん メリーゴーランド柄のバンダナまだ持ってます 「あの日ガーイズ 赤や青の馬を見てた」
    会場内のライトが目まぐるしく動き美しかったことを覚えてます 元レインボーホール行きました