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TOKYO FM「Terminal Melody」15回目放送終了(1)

以前、

「僕は歌詞を書く上で『人生』という言葉を避けてきた」

と、いうお話をしました。

60歳を超えて、「そろそろ使っていいのかもしれない」と思うようになりました。
若い時には、若いなりの人生と呼べるものもあるのでしょう。
なので、若い人が「人生」を用いて話をしているのを聞いてもひっかることもなく普通に聞いてしましたし、
そんな僕自身も、会話では使ってきました。

ただ、作品には使えなかった。
きっと、20代になったばかりで歌詞に「人生」という言葉を使った「安息の日々」

もちろん作品へ向けては本気でしたから、しっかり作品になってると思っています。

しかし、社会に飛び込んでからは、だんだん歌えなくなっていったのです。
自分に向けてこう思っていたんですよね。

「20歳程度の何にも知らない奴が、人生の深さや重みを知った風に歌うんじゃない」

間も無く作品を閉じるかのように歌わなくなりました。

振り返ると、「アンプラグド形式」で歌った「武道館」
そして、デビュー25周年、野外で行なった「熱風ライブ」

くらいかな。
あの時は、自分の音楽活動の「軌跡」として歌いました。

やっと、本当にやっとだな。
「人生」を歌うことを、自分が許し始めたのは。

僕には、そのようにこだわった言葉がもう一つあります。

「青春」

これに関しては深い意味はありません。

「人生、いつだって青春だ」

なんて、言葉をあちこちで聞く中、そのフレーズに切なさを感じていたのでした。
もう青春を通り過ぎた人たちが、元気づけあってるようにしか感じなかった。

「青春」ってありますよ。

ただ、その時「青春ど真ん中」いることを、知ってはいるものの、「青春」の使い方がわからない。

そうですよね。
「青春」には使い方などないわけですから。

「若い時の苦労は買ってでもしろ」

きっと、この言葉が当てはまる年齢の時には、もう「青春」を過ぎてる。

「青春の鼓動」

は、疑似恋愛を込めて書きました。
でも、校則違反のコートは着てましたし、先生の目に入らないよう、校門の近くで脱いでいたのは本当です。
自分の感じている「青春」が「青春」と受け止めてもらえるよう、自分の体験談がドラマになるよう創作してみました。

メロディができたときに、こう思ったんです。

「臭いほど『青春』を描けば、今まで避けてきた『青春』を思い切り歌えるんじゃないだろうか?
タイトルにさえ、潔く『青春』を入れてみよう」

「マーマレードの空がジャムに変わる頃」

「ジョン・レノン」が「ママレードの空」と歌いました。
僕は、夕暮れになっていく時間の経過を「ジャム色」にしてみたんですね。

臭くてもなんでもいい。
この曲では、誰もが通過してきた「青春」を、懐かしみ、楽しみ合いましょうよ。

「死ぬまで青春」はない。

振り返った時に、「あれがそうだった」と思えるその時を思い出し合いながら、
ライブで謳歌しましょう。


さて、明日は、
またまた写真撮影です。


秋からのツアーのパンフレットの撮影。
秋からのツアーに変更はありません。

「収容率100%」

で、ツアーに向かいます。

ライブでパンフを手にされる方。

そのパンフ撮影前夜に、これを書いていたことを覚えおいてください。

ブログの最後でツアーの話となりましたので、
本日のブログも、一般公開です。

TOKYO FM「Terminal Melody」15回目放送終了(1)

昨日(もう一昨日)の選曲は、

「青春の鼓動」
「群れ」
「BIG TREE」

3曲でした。

「群れ」「BIG TREE」

は、(2)で書かせてください。


ASKA(2021/5/18 1:20)