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TOKYO FM「Terminal Melody」〜第7回放送終了

今朝、9時に起き、
そのまま二度寝したわけですが、また、いつもの頭痛が始まり、
先ほど、復活しました。

偏頭痛というのは、突然ケロリと治ってしまいますので、
さっきまでの頭痛は何だったんだろう?と思ってしまうものです。
もう、小学生の頃からこれまで、もう覚えていないくらいの回数、
脳波、心電図を調べてきましたが、何ら異常はないんですよね。

という、いつもな感じです。

さて、昨日の「Terminal Melody」、
いつものように、ジャネットさんが歌詞を抜粋して語られる時、

ん?
これは何の曲だっけ?

と、思うことが多い。
1曲目は、

「歌になりたい」

でしたね。

ちょうど、ソフトシンセのアコースティックギターの新しい音源を入手した時でした。
ギターには、ざっくりと「ストローク(ジャガジャガと弾く)」「アルペジオ」という二つの弾き方があります。

ソフトシンセには、その「ストローク」のいろんなパターンがあります。
その中のひとつを選び、テンポ、コード進行を決めて行きました。

この時点では、まだどんなメロディがつくのかは決めていませんでした。
通常、楽曲はそのキーの1度から入ることがほとんどです。
「歌になりたい」は、4度から入ってみました。
5度を「ドミナント」と言いますので、4度は「サブドミナント」となります。

これは、僕が曲の変化をつけたいときに使う手法です。
この辺りは、音楽をやっている人には理解できる説明でしょう。
なので、作曲方法となりますので、割愛させてください。

楽曲を作りながら、久しぶりにサビを女性コーラスにバトンを渡したかった。
そのコーラスの間を抜いて、フェイクを自分のボーカルとする。
C&Aで言えば「no no darlin’」ですね。

聴こえてくる声は、「藤田真由美」「SHUUBI」でした。

楽曲が出来上がった時、このブログで
「この曲は人気曲になる」
そう、お伝えしました。

「人気曲」と「ヒット曲」は違います。

「ヒット曲」は、そのアーティストにヒットする条件が揃ってヒットすることがほとんどです。

ヒットを狙うには、プロモーションにおいて様々な仕掛けが必要となります。

以前、お伝えしました。

「長く活動を続けているアーティストは、いつかヒット曲に拘らなくなる」

と。

もちろん、ヒットするに越したことはありませんが、
それよりも長く愛してもらえる「人気曲」になることを望みます。

楽曲完成後、「歌になりたい」が、僕の活動において、「人気曲」になるであろうことが直感できました。

ですので、久しぶりに「シングル曲」としてリリースしました。

未発表であるにも関わらず、ライブの締め曲としたのも、
必ず気に入ってもらえるという自信作だったからです。

客席からのスマホライトは本当に綺麗だった。

この曲に対しての楽曲の説明はもういらないでしょう。
大事に長く歌っていきたい曲ですね。

2曲目は「Tattoo」でしたね。
リクエストされた方が、

「これほど、楽曲が変化し続けるアーティストは珍しい。
数年前に『SAY YES』を歌っていたアーティストだとは思えない」

と、いうようなコメントを添えてくれました。

そうですね。
僕は「Never End」の中で、こう歌いました。

「もういつか僕は変わり続けることでしか 
生きていくことができなくなってる」

自分を振り返っても、そうですね。
変化にまみれた人生です。初めてのソロライブを行なったときは、
あいつの一言が起爆剤になりました。

「なら、やってやろうじゃないか」

本当に何気ない一言。
全然、悪気はなかったと思います。
でも、言葉って受け止めた人によって、違う服をまとってしまうものです。

ソロライブは、まさにあいつの一言で開花できたようなものです。
C&Aは、互いに影響しあってこそのC&Aでしたからね。

アルバム「kicks」では、よりロック色の濃い、いや全開のアルバムとなりました。

リリース当初はウケが悪く、大半は否定的でした。
その後、5年10年と経つうちに、今では、1番、2番人気のアルバムになっています。

その中の1曲が「Tattoo」ですね。
エレキギターを全面に出してはいますが、
その実、楽曲をイメージづけしてるのは、ノイズにも近いサンプルギターがベースになっています。

ブログでは、ブログの性質上、丁寧な言葉で書くよう心がけています。。
もちろん、これも僕。

しかし、男同士で語り合うときは、決して丁寧な言葉ばかりではありません。
それも僕。

なので男限定ライブとなると、たちまち男同士の空間になるはずなんですよね。
すごく見える。

どちらも僕です。

歌詞では、

「毛布がわりに抱いた女」

という部分に随分反応されました。
僕は、そこにはあまり反応しなかった。

「導火線にダンスを許した」

この部分でしたね。
導火線って、火が爆薬に近づいていく時、小さくも大きくもくねっていく光景があります。
それが、僕にはダンスに見えた。

何れにせよ「Tattoo」は、徹底的にロックしてみたつもりです。
あくまで僕の中の「ロック」に対してのイメージです。

よく「これはロックしてねぇ」など、セリフがかった言葉を聞くことがあります。

「オマエの言うロックを説明してみな」

これに答えられた人は、まだ僕の前には現れていません。

僕にもわからない。
だからイメージしたものに近づいてみる。
「Tattoo」も、そういう1曲ですね。

3曲目の「安息の日々」

リクエストされた方のコメントに、まず撃たれました。
ある日、どこかで実態なくインプットされていたものが、突然目の前に現れて、あの日と今が繋がる・・・。

そういうことってありますよね。

学生デビューでした。
デビューできたことの喜びと裏腹に、自分の実力なんてものは、誰よりも自分が知っているわけです。

デビューアルバム「風舞」、
もうすでに東京に出てきてましたから、出席日数も足らず、当然「留年」です。

気持ちさえあれど、本当に自分の将来がどうなっていくのかの不安はいつも抱いていました。
もし、自分の中に自信しかないならば、ある意味幸せでしょうが、
そのような脳天気(能天気)は持ち合わせていませんでした。

渋谷の松見坂。
東京に出てきたときに初めて一人暮らしを始めたところです。

デビュー時に、オリジナル曲が6曲しかありませんでした。
それもデビューアルバムで使えるものは使ってしまった。

仕事は、忙しい。
曲を作る時間はない。

それでも、やらなくてはすぐに世間からは弾かれてしまう。
まだ、21歳ですからね。

何にも身につけていない状態で、社会からの答えを出されてしまう。
6畳2間の部屋。
キッチンは、ほぼ生活には必要のない部屋でしたから、
事実上、生活圏は6畳の1間だけでした。

それでも、あの頃は「学生デビュー」というものは、それほど目立ったものではなく、
それなりに周りにはいました。

「安息の日々」

それを、どれだけ求めていたことか。
それを求めている自分を情けなくも感じていた。

「勇気が欲しい」

今なら、楽曲としては書き直すであろう部分でしょうが、
あの時の背一杯の気持ち。

昨日、そこを聴きながら、「それで良いよ」と、自分に語りかけそうになっていました。

あの曲で、初めて「人生」という言葉を使いました。
アルバムができ、すぐに恥ずかしくなったものです。
21、22歳の人間が「人生」など歌詞に用いたのが恥ずかしかった。

ここ10年ですよ。
ようやっと、「人生」という言葉を歌詞に使っても良いのではないかと思い始めたのは。

少しだけ、本当に少しだけ、そう思えるようになりました。

来週の「Terminal Melody」、
2回目の出演です。

もう、収録は終えました。

「日曜の夜」の代名詞になれるような錯覚さえ持ち始めています。
来週は、第8回目の「日曜の夜」になりますね。


ASKA(2021/3/22 19:16)