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火曜日に書く「日曜のお話」〜聖書【追記】

今朝方4時過ぎに寝て、8時半に起きました。
仕事は、3時前後に終わっていたのですが、この国を覆っている「豪雨情報」をNHKで観ていました。

この国に生まれた僕たちは、この国のメディアが発信する情報でいっぱいです。
これは、世界各々の国民がそうでしょう。

今年も日本では「観測史上初」の豪雨に見舞われています。

「なぜ、日本だけが・・・」

そのようなコメントがありました。
しかし、この豪雨、「観測史上初」は、日本だけではないんですね。
もう随分前から、世界のどこかでこのようなことが頻繁に起こっていました。

ただ、その頃は「世界のどこか」と言えるものでした。
今回の「豪雨」は、2017年頃から「多くの国で」となり、
現在では、

「世界中で」

となっています。

僕はクリスチャンではありませんから「聖書」を熟読したことはありません。
1979年に音楽界にデビューした僕は、これまでライブツアーで全都道府県に足を運びました。
当時はまだ駆け出しの小僧でしたので、宿泊は用意されたところでした。

例えば、ビジネスホテルにも「松」「竹」「梅」があります。
当時は何にもわからない若者でしたので、そのホテルが「松」「竹」「梅」のどれかも分かりませんでした。
ただ用意していただいた部屋に宿泊し、また次のライブに向かうという日々。

その頃、気がついていたことがありました。
どこのホテルにも「聖書」があったということです。

上でも書きましたが、熟読をしたことはありません。
食事後、部屋に戻ってから、ちょくちょくページをめくっていました。
ベッドでの活字は眠気を誘ってきますので、
朝には、枕元に「聖書」があったことも珍しいことではありませんでした。

「聖書」に書き連ねてあった表現は、実に「詩的」でしたので、
内容そのものよリも、その表現の方に興味があったのでしょう。

ある日、ホテルの方に質問したんですね。

「どうして全国のホテルには、聖書があるんですか?」

ホテルマンは若い方でしたので、僕の質問には答えられませんでした。
その時でした。
聖書を持ってきてくれたのです。

「どうぞ、お持ち帰りください」

欲しいわけではなかったのです。
素朴な疑問を投げかけただけだった。

その後、全国のホテルに聖書が置いてある理由を知りました。
ホテルでは部屋数分の聖書を買っていたのではなく、
「国際ギデオン協会」から配布されたものだったんですね。

ご存知のように「聖書」は書店でも売られています。
永遠のベストセラーなわけです。

売り物の「聖書」
配布された「聖書」

全てがカウントされるわけですから「永遠のベストセラー」であって当然。

「聖書」には、
「旧約聖書」と「新約聖書」の二つがあることはご存知だと思います。
内容を書き換えたものだということは知っていますが、なぜ、書き換えたかは知りません。

その中に、

「黙示録」

と、いう章があるんですね。
「聖書」は「預言書」と言われています。
ただ、「子羊」「七人の天使」「獣」 などをはじめ、
想像を働かせなくてはならないモノがたくさん登場しますので、
結局、それを解釈した人の書籍を読むことになってしまいます。

解釈も、それぞれで、未だに「聖書」が何を伝えようとしているのかが理解できていません。
「福音」と称して、それを伝道する方々がいらっしゃいますが、書き換えたものの伝道ですので、
書物のひとつとして読む程度です。

「最後の審判」なんてのもそうですね。

「聖書」を(利益目的で)書き換えた者には災害がもたらされる。
「聖書」を(不利益な部分を都合よく)削除した者には、「福」が取り上げられる。

てなことが、書いてあったような覚えがあります。

と、前振りが長くなりました。

近年の洪水は「黙示録」の始まりのように感じています。
これは、あくまで僕の主観により、ふと感じただけのことです。
しかし、他にも、同じように書いている方々がいらっしゃいました。


2年前、
アラビア半島の「オマーン」、
そして、干ばつ地帯の「レバノン」が、恐ろしいほどの洪水に見舞われました。

ここ数年、日本の洪水は拍車がかかっています。
みなさんのコメントを読み、

「なぜ日本だけが」

と、思われてる方を見かけましたので、
決して日本が何かの報いを受けているのではないということをお伝えしたく、
本日、火曜日に、

「日曜のお話」

と、なるようなことを書きました。

「聖書」が全てではないでしょう。
しかし、確かに「預言」と言えるようなことがことごとく起こっています。

そして、今日、いちばんお伝えしたいこと。

「聖書」には、

「ここを越えれば『新天地』が待っている」

と、いうようなことが書いてあったことです。
「悲しみ」や「涙」などがなくなり、人と神が、一緒に暮らすようになる「新天地」が現れるとのことです。

今の、世の中。
今後も、まだまだ、更なることが起きるでしょう。

現に、そのようなことが続いています。
しかし、そのような中において、人の心には「慈愛」「慈悲」などというものが強く強く生まれ、
互いに助け合おうとしてますよね。

災害でお亡くなりになった方が、新天地に行けなくなった方ということではありません。
「悲しみ」「苦しみ」「涙」などがない世界へ、一足先に行かれた方なのかもしれません。

つまり、肉体のない世界に「新天地」があるようで、
そこに行けるかどうかの「名簿」というものがあるようです。

これは、あくまで「聖書」の中のお話です。


ASKA(2020/7/7 15:19)

P.S.

今日は、「七夕」か。
あと、数日だな・・・。


追記:

コメント

「私の記憶では、イエス・キリストの生誕前からあるもの=旧約聖書、
生誕後に出来たもの(イエス・キリストの言動が書かれている)=新約聖書、という理解をしておりました」

その違いは把握していました。

キリストは実在の人物ですから、世間でいうところ「神」ではないんですね。
「教えを説いた人」です。

旧約聖書は、キリスト生誕前に書かれたものでした。
これは、僕も聖職者の方から聞いた話です。

「わかりやすく言うと」と、前置きがあった上で、

旧約聖書は
「モーゼが、神から直接授かった、古い契約書」

新約聖書は、
「旧約聖書にキリストの教えを加え、書き直した、新しい契約書」

このように聞かされていました。

「契約書」という言葉が、妙を得ていて、
僕は「ある晴れた金曜の朝」で「契約書」という言葉を歌詞に使いました。

以前、僕は、

「聖書とは本来、キリスト教ではなく、キリスト教がキリスト教を布教させるために使ったもの。
この辺りは宗教に関わることですから、あまり触れない方がいいですね」

このような辺りでまとめました。

ユダヤ、イスラム教は「神から授かったものが聖書」
キリスト教は「それにキリストの教えを加えたものが聖書」

「キリストは12月25日生まれではなく、夏だった」

と、いうことも書きましたね。

「神から授かったモノ」
それに加えて
「人としてのあり方を説いたモノ」

「聖戦」は、なくならないでしょうね。

COMMENT

火曜日に書く「日曜のお話」〜聖書【追記】のコメント

  • ニックネーム:MINEYO
    キリスト教を解りやすく書いた本は私も脱線せずに流し読みしますが冬読んだ方が良い

    保育園がキリスト教?クリスチャン?でした
    看護助手を取得しました


  • ニックネーム:zarigami
    宗教は治世のために活用されてきました。
    もちろん仏教もそうです。
    日本では寺は国勢調査(徴税)と教育の機関でした。
    なぜ、一回忌や三回忌があるのか?
    寺(国)が区域の家族構成や暮らしを定期で調査するためです。
    仏教には『あの世』がありませんから・・・
  • ニックネーム:zarigami
    ユダヤ教は旧約聖書だけを信じています。
    キリスト教は旧約、新約の両方です。
    キリストは旧約に出てくる救世主と解釈され
    最後の晩餐で新しい契約を結んだことになっています。
  • ニックネーム:YU☆MATSU
    僕は無宗教ですが、キリストだけは理解できます。唯一、生きてる者、亡くなった者どちらにも平等に手を差しねべてくれるからです。そうです、手を差しのべるマリアが見えるんです!色んな意味で「PRIDE」はすごい歌だと思います。
  • ニックネーム:ちはる 🐰
    聖書、松竹梅はあまり気にしてませんでした。ただ泊まったホテルの臭いや、布団やトイレが綺麗どうかぐらいかな。
    松竹梅は、高いホテルに泊まらないと気にしないですね(笑)😀気にするASKAさんの贅沢さが羨ましい。前に一泊一万のホテル泊まった時に、なんだが、あとから自分を反省しました💦キリスト教や仏教や伝統物はASKAさん、好きそうなイメージがあります。信じる者は救われらる。ASKAさんの運の良さはそこから来ているのかな⁉️☺️