今、松本晃彦が帰りました。
現在、彼はロスに在住でして、
日本に帰ってくる度に、必ず会いに来てくれます。
先日、アメリカに帰ったばかりでしたが、
また、帰国しました。
94歳になられるお父様がお亡くなりになったんですね。
お身体の具合がよろしくないことは、もうずっと聞かされていましたし、
先日、アメリカに戻ったばかりですし、仕事も忙しいでしょう。
ですので、先日の帰国は、
お父様に「お別れ」を告げに帰って来ていたんだろうと思っていました。
それもあり、僕は、お父様の「悲報」受け取った時、
アキちゃん(松本)は、出席できていないだろうとの思いで、先日葬儀に出席したのです。
アキちゃん、居ました。
よくよく考えれば、そうですよね。
長男として、お父様をお見送りしないわけがない。
言葉は適切ではありませんが、
あんな「お洒落」な、お葬式に出席したのは初めてでした。
アキちゃんのお父様は、音楽家でして、
世代を共にした音楽家、そして後輩音楽家の皆さんの弦楽の中でお葬式は行われました。
ひとり、ひとり音楽家の皆さんの言葉は、
アキちゃんのお父様への尊敬と慈愛で溢れていました。
皆さんの言葉で知った事があったのです。
「ヤマハオルガン教室」
それを立ち上げられたのが、お父様、そしてその仲間たちだったと・・・。
日本全国、そして海外まで・・・。
終生、音楽へ情熱を傾けられながら、この世を去られました。
僕も「ヤマハオルガン教室」の生徒でした。
大人になり、音楽に目覚め、30代後半でアキちゃんと出会い、
僕は、初めてソロライブを行なったわけです。
「日本一のバンドにします。誰もが認めるメンバーを集めます」
この一言で、集まってくれましたのが、今のバンドの原型です。
ドラムの「江口」が、「ASKAバンド」と命名し、
今では、業界でも普通に「ASKAバンド」と呼ばれるようになりました。
新しい「Fellows」に向けて紹介するならば、
「踊る大捜査線」の音楽を作ったミュージシャンと言えば分かりやすいですね。
その後、アキちゃんはプロデュサー、そしてアーティストとしての活動が活発になり、
ツアーに参加できなくなってしまったのですね。
その後に、
「ASKAバンド」のバンマスを引き受けてくれたのが、盟友「澤近泰輔」です。
僕は、アキちゃんと出会ってからも、
お父様が「ヤマハオルガン教室」を立ち上げられた話は聞いていませんでした。
お父様の音楽家人生のなかで、僕も音楽に触れていたのですね。
ご友人のお話を聞きながら、「人の縁」というものを感慨深く聞いていました。
僕は「オルガン教室」卒業後、剣道に打ち込みましたので、
長い長い年月を経て、その息子であるアキちゃんと出会うわけです。
アキちゃんのおじ様は、日本が誇る世界的テナーサックス奏者
「松本英彦」さんです。
目を閉じてサックスを吹くその姿から「スリーピー松本」と言われていました。
これも、また縁で、
「松本英彦」さんと、僕のおじさんでクラリネット奏者の「水野純交」さんは、
同じバンド、そして、多くの共演をしていたのでした。
純交さんには、僕の「SCENE Ⅲ」の中の一曲。
「背中で聞こえるユーモレスク」で、クラリネットを吹いてもらいました。
「松本英彦」さんも「水野純交」さんも、ジャズ畑でしたので、
アメリカの香りがふんだんにある方達でした。
アキちゃんは「音楽一家」。
つまり音楽家としての血を引いたサラブレッドと表現してもいいかな。
今日は、
先日、僕がお葬式に出席したことへのお礼も兼ねて、会いに来てくれました。
わざわざ、律儀にねぇ。
僕は会えて嬉しかったですけどね。
現在、「コロナ」の影響により、日本人の入国を拒否をする国が増えてきました。
「安倍総理」と「トランプ」さんの親交の深さにより、
まだ、日本人はアメリカ入国を、なんとか条件付きで許されてるのが現状です。
一足先にアメリカに戻られる奥様も、
無事、入国を許されたとしても、2週間は、何かしらの隔離、外出禁止などがあるでしょう。
相続などを含む多くの書類関係で、
しばらく日本に滞在しなくてはならないアキちゃんがアメリカに戻れる頃には、
果たして入国できるかどうかわからない状態を迎えてしまいそうですね。
とうとう日本でも「クラスター感染」となりました。
「クラスター感染」とは、もう感染経路が追えない、四方に飛び散る「集団感染」を意味します。
「新型コロナウイルス」
そうそう、収束はしないと思います。
今、僕は、連日「香港」と連絡を取り合っています。
この話は、また、いつかお話ができる時が来たらさせてください。
何としても、これ以上の感染を阻止したいものです・・・。
今日は、アキちゃんと、
そんな、話もしながら「人の縁」というものを感じ合いました。
無事に、アメリカに戻れることを祈っていますね。
ASKA(2020/3/7 19:48)
日本に帰ってくる度に、必ず会いに来てくれます。
先日、アメリカに帰ったばかりでしたが、
また、帰国しました。
94歳になられるお父様がお亡くなりになったんですね。
お身体の具合がよろしくないことは、もうずっと聞かされていましたし、
先日、アメリカに戻ったばかりですし、仕事も忙しいでしょう。
ですので、先日の帰国は、
お父様に「お別れ」を告げに帰って来ていたんだろうと思っていました。
それもあり、僕は、お父様の「悲報」受け取った時、
アキちゃん(松本)は、出席できていないだろうとの思いで、先日葬儀に出席したのです。
アキちゃん、居ました。
よくよく考えれば、そうですよね。
長男として、お父様をお見送りしないわけがない。
言葉は適切ではありませんが、
あんな「お洒落」な、お葬式に出席したのは初めてでした。
アキちゃんのお父様は、音楽家でして、
世代を共にした音楽家、そして後輩音楽家の皆さんの弦楽の中でお葬式は行われました。
ひとり、ひとり音楽家の皆さんの言葉は、
アキちゃんのお父様への尊敬と慈愛で溢れていました。
皆さんの言葉で知った事があったのです。
「ヤマハオルガン教室」
それを立ち上げられたのが、お父様、そしてその仲間たちだったと・・・。
日本全国、そして海外まで・・・。
終生、音楽へ情熱を傾けられながら、この世を去られました。
僕も「ヤマハオルガン教室」の生徒でした。
大人になり、音楽に目覚め、30代後半でアキちゃんと出会い、
僕は、初めてソロライブを行なったわけです。
「日本一のバンドにします。誰もが認めるメンバーを集めます」
この一言で、集まってくれましたのが、今のバンドの原型です。
ドラムの「江口」が、「ASKAバンド」と命名し、
今では、業界でも普通に「ASKAバンド」と呼ばれるようになりました。
新しい「Fellows」に向けて紹介するならば、
「踊る大捜査線」の音楽を作ったミュージシャンと言えば分かりやすいですね。
その後、アキちゃんはプロデュサー、そしてアーティストとしての活動が活発になり、
ツアーに参加できなくなってしまったのですね。
その後に、
「ASKAバンド」のバンマスを引き受けてくれたのが、盟友「澤近泰輔」です。
僕は、アキちゃんと出会ってからも、
お父様が「ヤマハオルガン教室」を立ち上げられた話は聞いていませんでした。
お父様の音楽家人生のなかで、僕も音楽に触れていたのですね。
ご友人のお話を聞きながら、「人の縁」というものを感慨深く聞いていました。
僕は「オルガン教室」卒業後、剣道に打ち込みましたので、
長い長い年月を経て、その息子であるアキちゃんと出会うわけです。
アキちゃんのおじ様は、日本が誇る世界的テナーサックス奏者
「松本英彦」さんです。
目を閉じてサックスを吹くその姿から「スリーピー松本」と言われていました。
これも、また縁で、
「松本英彦」さんと、僕のおじさんでクラリネット奏者の「水野純交」さんは、
同じバンド、そして、多くの共演をしていたのでした。
純交さんには、僕の「SCENE Ⅲ」の中の一曲。
「背中で聞こえるユーモレスク」で、クラリネットを吹いてもらいました。
「松本英彦」さんも「水野純交」さんも、ジャズ畑でしたので、
アメリカの香りがふんだんにある方達でした。
アキちゃんは「音楽一家」。
つまり音楽家としての血を引いたサラブレッドと表現してもいいかな。
今日は、
先日、僕がお葬式に出席したことへのお礼も兼ねて、会いに来てくれました。
わざわざ、律儀にねぇ。
僕は会えて嬉しかったですけどね。
現在、「コロナ」の影響により、日本人の入国を拒否をする国が増えてきました。
「安倍総理」と「トランプ」さんの親交の深さにより、
まだ、日本人はアメリカ入国を、なんとか条件付きで許されてるのが現状です。
一足先にアメリカに戻られる奥様も、
無事、入国を許されたとしても、2週間は、何かしらの隔離、外出禁止などがあるでしょう。
相続などを含む多くの書類関係で、
しばらく日本に滞在しなくてはならないアキちゃんがアメリカに戻れる頃には、
果たして入国できるかどうかわからない状態を迎えてしまいそうですね。
とうとう日本でも「クラスター感染」となりました。
「クラスター感染」とは、もう感染経路が追えない、四方に飛び散る「集団感染」を意味します。
「新型コロナウイルス」
そうそう、収束はしないと思います。
今、僕は、連日「香港」と連絡を取り合っています。
この話は、また、いつかお話ができる時が来たらさせてください。
何としても、これ以上の感染を阻止したいものです・・・。
今日は、アキちゃんと、
そんな、話もしながら「人の縁」というものを感じ合いました。
無事に、アメリカに戻れることを祈っていますね。
ASKA(2020/3/7 19:48)
COMMENT
今、松本晃彦が帰りました。のコメント
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ニックネーム:彩私も、ヤマハオルガン教室でピアノを始めました。
まさか松本さんのお父様が設立されたとは!
特に音楽家はご縁でつながっていくことが多いですね。
素敵なご縁は、私たちに素敵な音楽を届けてくださることに感謝しています。 -
ニックネーム:kazumi1224追記!
松本晃彦さんのご家族
音楽一家なんですね。
良いですね。
ASKAさんのように
音楽に携わっておられる仲間の皆さん
とのご縁本当に良いですね。
最高に素敵な方達ばかりですよね。
ASKAさん、素敵な音楽仲間の皆さん(バンドメンバー)
達と一緒にこれからも素敵な音楽を奏で続けていってくださいね。
私自身、心から楽しみにしてます。 -
ニックネーム:kazumi1224ASKAさん
こんにちは。
私もYAMAHA音楽教室に
通っていましたよ。
私自身、小さい頃から今でも音楽が大好きで
小学校6年生くらいまでピアノや、少しエレクトーン
等を習っていた時期があります。
中学生時代は文化クラブで吹奏楽部に入部!
クラリネットを吹いていました。 -
ニックネーム:Full House大好きなジャズベーシストの納浩一さんが、以前何十年も前に、松本英彦さんの野外ライブに菅沼孝三さんと納浩一さんが参加されてた映像をFBに投稿されていました。松本晃彦さんの叔父様の松本英彦さんのライブ・・現在、納さんはジャズベーシストとして活躍されていますが、あの昔の映像を見ていると、ミュージシャンの方々は、色々なところで色々な方とのつながりや縁があるのだなって、つくづく思いました。
-
ニックネーム:cocky67私も小学校低学年の頃、ヤマハオルガン教室に通っていました。
ASKAさんも通われていたなんて、同窓ですね。
なーんて、おこがましですが、嬉しいです。
ヽ(´▽`)/